レント明けの話題は、ちょっと遅過ぎるかもしれないけれど…


 今年のレントは、特に集中して祈りたいことがあったので、フェイスブックをお休みしていた。もっとも、フェイスブックを休めば休んだで、ほかの趣味を見つけたりして(ちょっとしたクラフト…)、祈るためにそんなに特別に時間を費やせたかといえば、それほどでもなかったかもしれないけれど…


 でも、フェイスブックの絶え間ない情報の流れや交流から離れたことは、ペースを落として心を静めることにはとても役立ったと思う。


 そうして、静まって、今の私の日々の暮らしの中で起こっていることにどっぷり浸かって、そこで神様がなさっておられることに目を留めて、語っておられることに耳を傾けて、私に与えられている働きを行って… この期間中にもいろいろなことがあったけれど、その一つひとつを主に信頼して委ねていった。


 そうして、私の生活の中でこの数年課題になっていたことにも、ようやく出口が見えてきたというか、次のステップが見えてきたというか… ああ、やっぱり神様は生きておられる、神を愛し、そのご計画に従って召されて人々のためにはすべてのことを働かせて益としてくださる、その思いを新たにしつつ感謝と喜びに満たされ復活祭を迎える…はずが…


 みんが入院したのが復活祭当日の明け方だった。そして、ガンの宣告を受けたのがその翌日。


 このタイミングは一体なんなのですか? 神様に、そう問いかける(問いつめる?)こともできたかもしれない。でも私は、むしろ、聞くまでもないことのような気がした。これは、神様が充分にはかられたタイミングであったような気がしたから。


 20歳の娘に転移ガンが見つかる… 


 そんな宣告を受けるのに、40日間神様の前に(そこそこ)静まり、またカリフォルニアでのカンファレンスで神様の御臨在と愛と善(goodness)を堪能した後ほど、私が一番readyであれるときがあるだろうか?


 そう、カリフォルニアでのStand Women's Conferenceで私がお話させていただいたのは、"Becoming God's Beloved"ということだった。神様の無条件の愛を無条件に受け取ること。そして、愛されている者としての"振る舞い"を習得するのでなく、キリストの思いに倣う者へと内側から変えられていくこと(Becoming)。そのために、イエスの内に留まり、またイエスにも私たちの内に留まっていただくこと。Is Jesus beautiful to you, or just useful to you? Is Jesus enough for you?


 これらのことが、改めて私自身に迫ってくる。ありのままの私を無条件に愛してくださり、私の欠点も、弱さも、無力さも、何もかも承知しつつ、それでもなお「You are enough」と言ってくださるお方が、私に問われる。私の痛みも、苦しみも、不安も、恐れも、願いも、切望もすべて知っているお方が、私に問われる。


 「もしあなたの求めるものが何一つ与えられないとしても、痛みや苦しみなどが何一つ取り去られないとしても、それでもあなたはわたしを愛するか? それでもわたしはあなたにとって充分か?」と。


 ああ、主よ。私はすでにそれにお答えしました。私はあなたを愛します、と。あなたは私にとって充分です、と。


 My LORD, You are enough. You are enough for me.






D


(なぜかこの曲が、ずっと頭の中で響いていて… すごく、平安を感じています。)