今日は土曜日だけど、夫は仕事。大学のmuseumからコミッションされて水槽実験のデモンストレーションをするとかで、その準備。(これ


 私は朝8時から、中西部JCFN主催のセントラルカンファレンス(CC)のスカイプミーティング。スカイプは、以前は有料アカウントを持っていないと複数でのビデオ通話できなかったのに、いつの間にか誰でも複数でのビデオ通話ができるようになったのですね。とても便利です。朝一で大好きなみんなの声を聞いて、顔を見ることができて、とても嬉しかった<3


 今年のCCの講師は、プリンストン日本語教会の栗栖信之先生。とっても楽しみです! ウェブサイトが準備できたら、ここでも改めてご紹介します。


 さて、今朝はレント・プロジェクトのディボーションから特に語られることあり。マルコ9:17~22の、おしの霊につかれた子どもを連れてきたお父さんの話。


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弟子たちには子どもから霊を追い出すことができなかったと聞いて、「ああ、不信仰な世だ」と言われたイエス様だけれど、この絵(Lord Help Thou My Unbelief by N J Covington)のイエス様は、あわれみに満ちた目で手を差し伸べておられる。そしてその御手は、子どもではなく父親に触れておられる。


 子どもの癒しもさることながら、ここで必要とされていたのは、この父親の心の中にあった不信仰だったのかもしれない。イエスが本当に癒したいと思っておられたのは、父親のほうだったのかもしれない…


 



Sometimes, it is only by letting these physical mercies fail that Christ can induce us to pray the prayers we truly ought to pray, and that he greatly desires to answer.


(意訳:神様に介入していただきたいと願っている目の前の状況が、願い通りに変えられないとき、そのとき初めて、私たちの祈りは、本当に祈るべき祈りへと、神が何より答えたいと思っている祈りへと、導かれることができる。)



 ある件についての私のこれまでの祈りについても、探られました。このことは、私はもう少し留まって祈り求める必要がありそうです。



Lord, this Lenten season help me to examine my prayers. Lord Jesus Christ, whether it be with an answer or with your silence, direct me to pray the prayer that is needful, and be pleased to answer that prayer in your mercy. Amen.(2/21/15の祈りより)




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