しばらく前にも書いたけれど、ジェラルド・メイというクリスチャン精神科医が書いた「The Dark Night of the Soul」という本を読んだ。これは、十字架のヨハネの『暗夜』という有名な著作を、現代人に分かりやすく説明したもの。ヨハネが書いたほうのものは読んだことがないのだけれど、読んだことのある人によると、かなり難解らしい。なので、このように分かりやすく説明してくれる本はありがたい。


 前回この本に言及したときは、「十字架のヨハネの言う「魂の暗夜」を簡単に説明するのは難しい。簡単に言ってしまうと、そこに含まれる深さが削ぎ取られてしまいそうで」と書いた。でも今日は、ちょっとメモしてみようかと思う。


 私は、「魂の暗夜」とは、祈っても祈っても、神様から何の答えも手応えも得られない、神様から見捨てられてしまったかのように感じる、信仰の歩みにおける「乾いた」季節のことかと思っていた。でも、ヨハネが「暗夜」と呼んだのは、そういう「辛い体験」自体のことではなかったことがわかった。


 ヨハネが「暗夜」と呼んだのは、私たちが、自分の内側でなされている神様の働きや御業に気づかないでいること、理解を持たないでいることを指すためだった。「暗夜」というのは、神様の内なる働きに対する、私たちのいわば無知・無自覚を指す。


 そのような暗夜は、苦しみや試練を通るときに起こるかもしれないし、喜びや楽しみを通るときに起こることもある。いずれにしても、私たちは、それらの体験を通して、神様が何をなさっておられるのか、私たちをどうトランスフォームなさろうとしているのか、どんなご計画を成し遂げようとしておられるのか、気づいていないことがある。メイは、神様があえて私たちに自覚を与えないのは、もし神様がなさろうとしていることを知ったなら、私たちはそれに抵抗したり、自分の手で特定の結果を得ようとしてしまうかもしれないからだろうと言った。「To guide us toward the love that we most desire, we must be taken where we could not and would not go on our own.」あらかじめどこに連れて行かれるのか知っていたら、絶対行きたいとは思わないようなところに、神様は私たちを連れて行く… だから私たちにはわからないように、闇の中でそっと連れて行く… そう言われてみると、自分の歩みを振り返ってみても、あのときは成長させられたなぁと思うような出来事ほど、代え難いほどに貴重な体験だったし、そういう所を通ってきたことを今でこそ感謝できるものの、自分から進んで入っていきたいような体験ではなかった。同じところをもう一度通りたいかと言われれば、遠慮しますと言いたくなることが多い気がする。


 ともかく、十字架のヨハネが意味していた「暗夜」とは、暗く辛い体験という意味ではなく、私たちには神様のなさることが見えていない、ということであるらしい。


 暗夜は、私たちが何よりも神ご自身を愛するようになるところへと導く。私たちは生活の中で、外的にも内的にも、さまざまなものに執着しているが、闇夜を通らされる中でそれらの執着を手放すことを学ぶ。 


 「感覚の夜」では、外側にあるものへの執着からの自由を得る。たとえば、五感から得られるような各種の満足感、人や物への執着など。


 「霊の夜」では、自分の内側にあるものへの執着からの自由を得る。たとえば、自分が当然のように持っていたある種の期待や前提、自分を縛っている記憶や恐れなど。


 たとえば、神様に深く触れられるなら当然感じるであろうと思っていた感情的な高ぶりが削ぎ取られるかもしれない。新しいことを学んでいるという手応えが削ぎ取られるかもしれない。その意味では、確かに「乾いた」「孤独な」季節なのだけれど、そこを通ることで、私たちの神体験は、もはや自分の感情や特定の期待に依存することのないものになっていく。神様ってこういうお方、神様はこのように私を満たしてくださる、神様に触れていただくと私はこういう反応をする…などなど、信仰の歩みの中で、自分の中に確立してきたものがくつがえされるとき。もはや意味をなさなくなってしまうとき。私たちは、自分が持っていた神の概念や神のイメージや神の感覚ではなく、神ご自身と出会うことができる。先日、与えられたと思った祈りの答えが取り去られたとき、辛くて苦しくて神様に泣き叫んでいたとき、神様から「祈りの答えではなく、わたしを受け取ってほしいから」と言われた、ということを書いたけれど、それは私にとってまさに魂の暗夜の体験だったのだと気づかされた。


 "The dark night of the soul is an ongoing transition from compulsively trying to control one's life toward a trusting freedom and openess to God and the real situations of life. .... the feelings of aridity and emptiness are the birth pains of a freer life and deeper prayer."