気がついたらあっという間に2月になっていました。(汗)早いですねー。このひと月ほどは個人的にいろいろありました。でも、All is good, because He is good.





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 さて、この画像は、私の友人がFacebookにポストしていたもの。すごく気に入ったので拝借したのだけれど、調べてみたら、どうもウィロークリーク教会のサイトの画像みたい。ウィロークリークでは月に三回、霊的形成にフォーカスを置いた夕拝を行なっている。(The Practice)
 神の国を生きるキリストの弟子たち、キリストの似姿に変えられていく者たちのための、教室よりもむしろ体育館のような場(つまり、知識よりも練習と訓練)。 うーん、ウィロークリーク、さすが。


 ともあれ、この画像は、私がここしばらく教えられていたことに見事にマッチしているので、すっかり気に入ってしまった。


 以前、「Be present」とはどういうことかについて書いた。これは、単に、「『今このとき』を一生懸命生きよう!」ということではない。むしろ、私たちの生活における神様の御臨在に気づくこと。神様がすでになしておられる御業に気づくこと。その中に置かれている自分を意識すること。それらのことにNoticeし、become awareになること。そして、そこから聴こえてくる神様の小さく細い御声に注意を払い、神様からの愛のこもったケアを受け取ること…


 ブラザーローレンスは、「敬虔な生涯」という本(というか、書簡集)を書いたけれど、その原題は、『The Practice of the Presence of God』という。つまり神の御臨在を実体験すること。日々のごく普通の生活の中で。一瞬、一瞬。それは、まさにBe Presentであることではないだろうか。


 先日誰かとこんな話していた。私たちクリスチャンは、聖書を学ぶことで、多くのことを信仰により受け入れ、知っている。たとえば、「神は愛」であるとか、私たちは神に愛されている者であることとか。そして、たとえ「神は愛」だと感じられないときであっても、自分の感情や体験に頼るのでなく、御言葉によって、それを真理として受け入れるように教えられている。それは確かにそうなのだけれど、神様は本当に、たとえば「神は愛」であることを、私たちが信仰によって受け入れるだけで良いと思っておられるのだろうか。神様は私たちに、「神は愛」であることを、体験し、感じてほしいと思っておられないだろうか?


 神は愛であることを体験するとは、必ずしも奇跡的なことを体験するとか、涙が止まらなくなるような感情の高揚を体験するよう求めるという意味ではない。神の愛は、私たちの普段の生活の中にすでに表されていて、溢れている。でも、私たちがよく注意を払わないなら、簡単に見過ごしてしまうかもしれない。通り過ぎてしまうかもしれない。私たちは神の愛を探して、見当違いな方向を見ているかもしれない。だから、Practice the presece of Godすることが必要。そのためには、スローダウンする。静まる。見て、聴いて、触れて、味わって、匂いをかいで… 神様はそのために私たちに五感をくださった。そして、心に感じよう。Be present. Notice. Become aware.


 そして、祈る。 「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころがなりますように。天でそうであるように、この地においても…」


 祈る。絶えず祈る。呼吸するように祈る。Almighty God, the Creator of the universe. Establish your Kingdom in our midst. Holy Spirit, the breath of the Living God. Renew us, and the whole world. Lord Jesus Christ, Son of God, have mercy on me, a sinner...


 そして、生きる。神の国に、生きる。神の国を、生きる。神を愛し、隣人を愛する。互いに親切にし、憐れみの心を持つ。困っている人、貧しい人を助ける。捧げる。


 生きる。Live from the place of God's care. Live from the place of love and abundance, rather than the place of fear and scarcity, knowing that everything God has is ours in Jesus.(ルカ15:31)


 神の国はからし種のようで、どんな種よりも小さいけれど、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になる。また、神の国は人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育つ。どのようにしてか、私たちには分からない。


 神の国は人の目に認められるようにして来るものではない。だから、よく注意を払い、Notice. Become aware. Pray. Live. Practice the presece of God.


 そんなことを、思わされたのでした…