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 9月から始まったスピリチュアル・ディレクションの講座は私の中で、そして私の家族にとっても、大きな祝福となっている。課題図書が多くて、だいたい一ヶ月2冊のペースで読まなくてはならないので、結構大変なのだけれど(ほかにも読みたいものがたくさんあるし)、どれもとても有益で多くを教えられているので、感謝。


 これまでに読んだのは、



Shaped by the Word: The Power of Scripture in Spiritual Formation

Shaped by the Word: The Power of Scripture in Spiritual Formation








Seeking God Together: An Introduction to Group Spiritual Direction

Seeking God Together: An Introduction to Group Spiritual Direction








Holy Invitations: Exploring Spiritual Direction

Holy Invitations: Exploring Spiritual Direction








Thirsty For God: A Brief History Of Christian Spirituality

Thirsty For God: A Brief History Of Christian Spirituality







 あとは"Prayerful Listening: Cultivating Discernment in Community"という小冊子と"Guidelines for Ethical Conduct"という小冊子。これらを9月の半ばから今までの間に読んだ。(一冊、まだ完全に読み終わっていないのがあるけど…)


 次の2ヶ月で読む予定なのは、



Contemplative Prayer: Praying When the Well Runs Dry

Contemplative Prayer: Praying When the Well Runs Dry










The Way of the Heart

The Way of the Heart








Awaken Your Senses: Exercises for Exploring the Wonder of God

Awaken Your Senses: Exercises for Exploring the Wonder of God








Prayer: Finding the Heart's True Home

Prayer: Finding the Heart's True Home







 このうち、ナウエンのWay of the Heartはすでに読了。なんだか学生時代に戻ったみたい。だけど嬉しい。レポートも毎月。今月は2本。


 講義や課題図書も楽しいけれど、実際にクラスに行ったときに実践させてもらえる事柄が、またすばらしい。毎回、Prayer activitiesとして、さまざまな祈りを体験する。夕べは、Centering prayerだった。


 これは、観想的な祈りの一つで、「今、ここに」おられる神さまの御臨在を体験すること、神さまの御臨在というプレゼントを受け取ること、自分自身が神の御臨在の中にいることを意識すること、と言えるだろうか。言葉でアクティブに祈る祈りではなく、内なる静けさの中で、神がくださるものを受け取る沈黙の祈り。思いを鎮め、身体をリラックスさせ、語ってくださる聖霊の声、動きに耳と心を研ぎすませる。


 夕べはそれを15分間の沈黙の中で実践したのだけれど、実際に沈黙していると、意識の中にはいろんな思いが流れてくる。ウィリアム・ジェームスはそれを「意識の流れ(stream of consciousness)」と言ったけれど、正直なところ、それを鎮めることなんて、可能なのかしら?と思ってしまう。


 リーダーのドナはそれを、「目の前を流れる川にいくつもの小舟が漂ってくるけれど、それに気づきつつも、乗らずに見過ごす感じ。あるいは、乗ってしまったら、すぐに飛び降りる感じ」と説明していた。観想的な霊性の中でよく言われるのは、「受け取ること」。You just receive it. Sit with it. Hold it gently. といった表現がたびたび出てくる。そして、抗わないこと。たとえ望ましくないものがあったとしても、拒絶したり否定したり格闘したりするのでなく、そこにそれがあるということだけを認め、engageせずにいる。


 心を鎮める練習をしていて気づくのは、人の心、思い、意識というものは、なんと騒々しく混雑しているか、ということ。これではとても、神さまの御臨在にも気づけないし、聖霊の「細い小さな」声を聴くこともできない。いつも頭の中にガヤガヤといろんな思いがあることが当たり前のようになっていて、場合によってはそれを、「頭の回転が速い」のだと勘違いしているかもしれない。


 Prayer activityのあとは、グループ・スピリチュアル・ディレクションを行なう。4~5人ずつのスモールグループに分かれて(毎回同じグループ)、交代で、一人の人がPresenter(一対一のディレクションの場合のディレクティーの役)となり、残りのメンバーが話を聴き、その人のその状況の中で神さまが語っておられること、なさっておられることに気づくのを手伝うような質問をする。今までに4回それを行なって、ようやく感じがつかめてきた。これについては、日を改めてまた書こうと思う。


 今週末は、この講座が主催の二泊の沈黙のリトリート。とてもとても楽しみ。 


          ***


 このブログのデザインを変えたときにうまくおさまらなくて外してしまったのだけれど、今年の冒頭からこのブログトップにヨハネ1:5の「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」を掲げていた。この箇所は去年の暮れ、とても心に迫ってきた箇所だった。それからほぼ一年。この御言葉の真実を、今、改めて噛みしめている。


  光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった