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 レクツィオ・ディビナについて、ブログにもう書いたかなと思ったら、あまり詳しく書いていなかったことに気づいたので、書き留めておきます。


 今日は、私がシカゴで行なっているバイブル・スタディに、レクツィオ・ディビナを取り入れてみました。今日の学びの箇所は、イエス様が十字架にかけられるところでした。The Storyという31週間で聖書全体を概観するカリキュラムを使っていて、ちょうどクリスマスの時期に十字架になってしまいました。(今年の復活祭のころは、クリスマスの箇所でした。笑)


 学びの中で、イエスが息を引き取られたとき、神殿の聖所と至聖所を仕切る垂れ幕が裂けたという箇所から、神の子羊としてイエスさまが血を流してくださったことで、私たちはイエスを信じる信仰によって、大胆に神のみもとに近づけるようになった、という話もしました。そこで、レクツィオで読んだ聖書箇所は、ヘブル書10章19~22節。


 レクツィオ・ディビナとは、「聖なる読書」という意味で、古代から修道士たちの間で用いられていた祈りをもって御言葉を読む方法です。(または、聖書を読みながら祈ると言ってもいいかもしれません。)御言葉を章単位で読むのでなく、数節から10数節くらいを選び、ゆっくりと、じっくりと味わいながら読みます。情報を得るために読むのではなく、また注解書をひもときながらテキストを理解することを目的とするものでもありません。生きた神のことばである御言葉から、神さまに語っていただき、それによって私たちの霊を形づくっていただくための聖書の読書であり、みことばを読むことがそのまま祈りでもあります。


 レクツィオ・ディビナには4つのステップがあります。まず、1~2分沈黙の時間をとって、心を静めてから始めましょう。




  1. Lectio レクツィオ (読む):言葉ひとつひとつ、文節ひとつひとつに注意を払いながら、ゆっくりと味わいながら読む。できれば声に出して、ゆっくりと朗読する。自分が抱えている問いや困難に対する答えを見いだそうとするのでなく、テキストについて自分がすでに知っていることも脇に置き、神さまは今日、この箇所を通して私に何を語ってくださるのか、与えられるものを受け取るつもりで読む。「心の耳で聴く」という言い方もされる。この箇所を通して語っておられる聖霊の静かな御声に耳をすましながら読む。茶の湯で、お茶をたてる前にまずゆっくりと茶器をながめてその色合いや手触り、重さなどを確かめ、愛でるように、みことばをゆっくりと味わう。

  2. Meditatio メディタツィオ(黙想する、思いをめぐらす、口ずさむ):読んだ箇所から、特に心に留まった言葉・フレーズ・文章に思いをめぐらす。牛が草を反芻するように、心に留まった(心惹かれた)言葉・フレーズ・文章を暗記するくらいに何度も繰り返す。そうしているうちに、その箇所が深く心に降りて来て、何かハッと気づかされるものがあるかもしれない。何らかのイメージが湧いてくるかもしれない。(無理に関連づけようとはしなくてもいい。そういったことが自然と現れるまで待つ。Let things come. Let them emerge.)

  3. Oratio オラツィオ(祈る):メディタツィオで心に浮かんできたことについて、祈る。神さまと対話する。心に留まった言葉(フレーズ)と、そこから語られたことが、自分の霊に触れ、キリストに似た者へと内側から変えてくださるように求める。あるいは、神への問いかけ、嘆願、賛美、感謝という形で祈りがほとばしりでるかもしれない。ここでも、何かを祈ろうと言葉をどんどん並べるのでなく、聖霊が静かに語っておられることに、自分の霊で応答する感じで祈る。ひと言ふた言祈り、しばらく静まって神さまの応答を待ち、またそれに対して自分も応答する、という形の祈りになるかもしれない。聖霊に主導していただく。

  4. Contemplatio コンテンプラツィオ (観想する):言葉も抜きにして、ただ主の御臨在の中で憩う。もはや何かを語ろうとか聴こうとかするのでなく、ただ主の御臨在、自分を包んでくださる主の御腕に、自分を預けるつもりで静かに観想する。神さまからの招きを受け入れ、今、自分は神さまの御臨在の中にいるということを、ただ楽しむ。


 これらのステップを、先を急がずに、ゆっくりと行います。これらのステップは規則ではないので、厳密に1から4のステップまで順番に追って、4まで来たらおわり、というものである必要はなく、行きつ戻りつがあるかもしれません。自分の心の内に働いてくださる御霊の動きに注意を払いながら読み、聴き、祈ります。あせらず、あわてず、ゆっくりと。静かに。