"What matters is not the accomplishments you achieve; what matters is the person you become." (Dallas Willard)


 「大切なのは、あなたの業績ではありません。大切なのは、あなたがどのような人になるかです。」(ダラス・ウィラード)


 「イエスの弟子にならないなら、そこにはどんな代償があるでしょうか。絶えざる平安、愛によって貫かれた人生、すべてのことを、何物にも勝る神のご支配の光のもとで見る信仰、どんな絶望的な状況にあっても、揺らぐことのない希望、悪の力に立ち向かい、正しいことを行う力、こういったものを、持てなくなるのです。」(ダラス・ウィラード)


 "どのような"人になるか… つまり、ウィラードが説明するイエスの弟子が持っているものを持つ人になること… つまり、イエスの弟子としての道を歩んでいる人になること。


 クリスチャンとしてどんな偉業を成し遂げても、愛に欠けていたり、不安に絶えず悩まされていたり、嫉妬心や競争心や功名心にいつも駆り立てられていたり、奢りやプライドを隠し持っていたり、二心の人であるなら、そのような人のたましいは、神様が私たちに意図していたような状態にはない。


 また、どんなに聖書や本を読んだり勉強したりして知識を得ても、それが私をイエスの弟子として整えていないなら、それらの知識は空しい。だからといって、知識が不要というのでなく、知識を得ることの目的を間違えないようにしたいと願う。知識を持っている人は、それが自分や他者のたましいの救い(霊的形成)のために用いられることを願いますように…


 業績(伝道・宣教活動も含めて)というのも、結局のところ、私たちが「どのような人」であるのか、というところから自然な発露として成されるものなのだと思う。もちろん私たちは、この地上にいる限り、キリストに似た姿(神のかたち、image of Jesus)に変えられつつあるプロセスにあるので、完全に変えられてからではないと神の働きが私たちを通してなされることはない、ということではないけど。


 ああ、主よ。私の第一のアイデンティティーはあなたの弟子であるということが、口先だけでなく、実体を伴うものでありますように。あなたの弟子として、日々歩む者であれますように。