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4月号のChristianity Today誌のカバーストーリーがN.T.ライトだった。




  • Surprised by N.T. Wright (このリンクは、購読している人でないと全文読めないのですが…)


 


 ライトは著作の数が非常に多く、次から次へと新刊が出てくる。重厚な神学書から、比較的一般向けのものまで、幅も広い。しかも、一冊が数千頁にわたる大著も少なくない。そして、彼は偉大な聖書学者・大学教授であるだけでなく(彼を「天才」と呼ぶ人たちもいる)、英国国教会の司教でもある。


 この記事の冒頭にも、このような記述があった。



But perhaps the most significant praise of all: When Wright speaks, preaches, or writes, folks say they see Jesus, and lives are transformed.


(しかし、おそらく最も重要な讃辞はこれだろう。ライトの言葉、説教、著作に触れるとき、人々はイエスを見ると言うのだ。そして、人生が変えられると言うのだ。)



 これは、一読者として、私もまったく同感。彼の本は神学の専門家がこぞって読むような、難しいものには違いないのに、にもかかわらず、私のような信徒が読んでも、とても心が洗われるというか、目が開かれるというか、胸がわくわくするというか……。神学がこういうものだともっと若いときに知っていたら、神学を勉強したいと思っていたかもしれない、と思うほど。


 そして前述の記事の最後のほうにはこうあった。



Most scholars talk about other scholars. Only a blessed few talk about the Bible. Fewer still talk about God. Wright, while standing on the shoulders of many great scholars, tries to talk about God. And he speaks and writes with an urgency that suggests every sentence is even more essential than the last. If he were to issue an alter call, folks would come.


(たいていの学者は、ほかの学者のことについて語るものだ。一握りの幸いな学者だけが、聖書について語る。その中でもさらにほんのわずかな学者だけが、神について語る。大勢の偉大な学者たちの肩の上に立ちつつ、ライトは神について語ることを試みる。そして、彼の紡ぐ言葉には、それらがきわめて重要であるとの切迫感がある。もしライトが招きをするなら、人々は前に出てくるだろう。)



 やはり彼は、学者であるだけでなく、根っからの司教でもあるということなのだろうな。(英国国教会に属しているので、「司教」という肩書きになるが、彼はアメリカ人の聴衆に向かっては、自分のことを「牧師」と表現することもある。)


 先日、ある人が、神学に関するある記事の中にあった、「神学する、ということは自分が人間だということに気づかせられることだ」「自分の人間性を隠して神学を語る人に、人々は飽き飽きしている」という文章を引用しておられた。この文章に私もグッときたのだけれど、ライトの本は、生身の被造物である自分にとって、神の言葉とはまさに福音であることをわからせてくれる本なのかもしれないと、ふと思った。もちろん、福音とは人間にとってだけでなく、全被造物にとって良い知らせなのだけれど。


これは、カナダの若手人気ブロガー、Sarah Besseyが数週間前にツイートしていたもの。



@sarahbessey


Our home group is studying N.T. Wright’s Surprised By Hope. Every week, I nearly stand on the table and holler, THAT’S GOOD NEWS RIGHT THERE


(私の家庭集会では、今N.T.ライトの「Surprised By Hope」を学んでいる。毎週、私はもう少しでテーブルの上に立ち上がり、叫びたくなる。「ここに良い知らせがある!」



小嶋先生によるライト紹介:


http://www014.upp.so-net.ne.jp/NTW-dokushokai/introindex.htm


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