(前半


 クリスチャンが福音を提示する方法として、救いというグッドニュースを述べる前に、「あなたは罪人なので、このままでは裁かれます」というバッドニュースを述べる、というものがある。私は長年、これに違和感があった。アメリカの高速道路を運転していると、ときどき、「あなたが今日死んだら、どこへ行くか分かっていますか?」という文句とともに、燃える炎が描かれているビルボードを見かけることもある。


 10年以上前、私が当時行っていた教会では、『Heaven’s Gates and Hell’s Flames』という伝道劇を2度にわたって上演した(1999年と2003年だったと思う)。リアリスティックな舞台装置を駆使し、地獄の炎と笑うサタンまで登場させ、「イエスを信じないとあなたは地獄へ行きます」ということを前面に出したものだった。


 このころ、私はすでに自分のホームページを始めていて、「ウェブ日記」にもこの劇のことを書いていた。ネットに書くからには、クリスチャンではない人にもこの劇で語られていたことの一つひとつの聖書的裏付けが分かるようにしようと思い、改めて聖書を開いて確認してみた。その結果、ショックなことに、どうもつじつまが合わないことに気がついた。確かに、聖書のあちこちに書いてあることではあるものの、つぎはぎというか、分かりやすく話を作ってしまっているように思えたのだ。(この頃から、私がのちに、「信仰のdeconstruction & reconstruction」と呼んだ、自分の信仰の土台からの見直しが始まっていった。でも、その話はまた別の機会に…)


 


***


 昨年の12月、娘の高校の先生が自死するという事件があり、そのときにものすごく考えさせられたことがあった。


 その先生は同性愛者で、現役の男子生徒と性的関係を持った容疑で取り調べを受けている最中だった。うちの次女がこの先生と親しく、高校卒業後もやり取りをしていて、教会にも何度か誘っていた。しかしいつも「うん、うん、そのうちね」と言うだけで、ついに一度も来ることがなかった。先生の死後、次女は「先生はたぶん、神様は同性愛者の自分を受け入れてはくれない、教会に行ったら裁かれると思っていたのだと思う」とポツリと言った。それが私の頭からずっと離れなかった。


 アメリカの教会は、特に福音主義の教会は一般的に、同性愛者に対して非常に厳しい。「聖書には同性愛は罪だと書いてある」の一点張り。近年は特に、クリスチャンと同性愛者の間の確執が社会問題のようになり、マスコミに取り上げられることもしばしばあった。これでは、同性愛者の人が人生でどんな問題を抱えていようとも、助けを求めて教会に行こうと思うわけがない。教会が「同性愛は罪で、罪人は天国に行けない」というバッドニュースばかりを前面に出すがゆえに、この先生も、教会に行ったりしたら自分のような人間は裁かれるだけだと思ってしまったのかもしれない。しかし、教会がこの世に伝えようとしているはずの福音は、この先生のような人にとっても、本来ならグッドニュースであるはずではなかったのか。彼が何に苦しんでいたのか正確なところはわからないが、この先生だって福音を切実に必要としていたはずだ。それなのに、クリスチャン自らが彼を教会から閉め出していたのかもしれない。そして彼は、グッドニュースを必要としていながら、どこにもそれを見出すことができず、自ら自分のいのちを断ってしまったのかもしれない。そう思ったら、いても立ってもいられない気持ちだった。


 私がここで言いたいのは、同性愛の是非の問題ではない。そうではなくて、何らかの深い問題、苦しみ、痛み、恥などを持っている人(あるいはそうでない人でも)がいるときに、私たちが真っ先に言うべきことは「あなたは罪人です」なのだろうか?ということ。「あなたは~~をして、××を信じないと救われません」という、否定形のステートメントなのか?ということ。福音とは、私たちが伝えたいグッドニュースとは、最初にバッドニュースを持ち出して、それと対比させないとその素晴らしさがよくわからないような、その程度のものなのか?ということ。


 


 つい数日前、「黒子のバスケ事件」というものについて初めて知った。その犯人の陳述書の全文が公開されていて、それを読んだ。http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/


 この人が感じている無感覚にも近いような絶望感に、胸が締め付けられる思いだった。そして思わされた。教会が伝えようとしている福音は、彼にとってもグッドニュースだろうか?と。服役して出所したら自殺しますと宣言しているこの人にとっても、福音はグッドニュースだろうか?と。


 あるいは、たとえば貧困の中であえいでいる子どもたちや、人身売買に売られて、怯え、心身ともに傷ついている女の子たちにとってはどうだろうか? あるいは、子どもの非行で悩んでいる親、夫のDVで苦しめられている妻、職場や学校でいじめを受けている人、心の病で社会に適応できなくなってしまった人にとっては?


 イエスが語られた神の国の福音はまさに、何らかの理由でこの社会の隅に追いやられている声なき人たちにとって、誰にも言えないような悩みや苦しみを抱えている人たちにとって、孤独でどうしようもない人たちにとって、グッドニュースだったのではないだろうか。イエスの周囲にはそういう人たちが大勢集まっていた。私自身も、その一人として、イエスから愛された。


「神の国は近づいた。悔い改めて(考え方や判断基準を変えて)福音を信じなさい。」


 私たちが間違っているから悔い改めよ、というのではなくて。私たちはこの地上で生きていく上で、自分の外や内から、さまざまなこの世の価値観、世界観を植え付けられてしまった。そして、そのストーリーの中に飲み込まれてしまった。しかし、神の国の王であるイエスが来てくださったから、私たちは自分たちを縛っていた古い価値観や世界観やセルフイメージから解放されて、神の国のストーリーの中に入ることができるよ、イエスと共に、自分について、そして私たちが生かされているこの世界について、今日から新しいストーリーを紡ぎ始めることができるよ、今は確かに苦しいことや悲惨なこともいろいろあるけど、イエスはいずれもう一度戻ってきて、すべての被造世界を回復してくださるから、心配しなくていい、恐れなくていい、何もかも大丈夫なんだよ、そういうことじゃないのかな…


「あなたは愛されています」というメッセージも、実は、それ自体が「悔い改め」のメッセージなのかもしれないね。自分には価値がない、愛されていないと思っていた人が、実は私も愛されていたのか!と知って、自分に関する考えを変えることができるのだから。それは、「あなたは罪人だから、罪を悔い改めよ」というのとは、随分違う…


 そして、私の好きなイエスさまのイメージ二つ。(涙)


The King Jesus.


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The Good Shepherd.


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Come to me.


Get away with me and you’ll recover your life.


I’ll show you how to take a real rest.


Walk with me and work with me―watch how I do it.


Learn the unforced rhythms of grace.


(Matthew 11:28-29 MSG)



関連記事:2013年7月11日「悔い改めて福音を信じなさい」