先日、Facebookである方が、東京新聞3月15日に載っていた、晴佐久昌英神父の文章を取り上げておられた。その文章は『宗教の普遍性』というタイトルで、「あなたは必ず救われる」で始まる。その方は、その文章の前半の「神は愛であり、すべての人の救いを望んでおられる」ということに関しては、全く同感であるものの、晴佐久神父の言うことは万人救済論のようで、特にこの文章の後半には疑問を感じる、というようなことを書いておられた。


 晴佐久神父の文章の後半部分には、こうあった。



「信じる者は救われている」というが、何を「信じ」たからどう「救われる」のかが重要だ


。これを特定の神仏を信じる者は御利益を得るとか、特定の宗教に入ったものが天国に行くのだとか解釈すると、普遍性が損なわれる。 


 むしろこれは、「すべての人が救いのうちにあること」を信じる者は「その救いに目覚める喜びによって」この世でも救われるということであろう。カトリック教会は、そのようにすべての人を救う方を神と呼び、普遍的な救いをもたらすかたをキリストと呼ぶ。


 これらを踏まえて改めて冒頭の宣言を繰り返すならば、キリスト教はすべての人に、こう宣言しているのである。


 「あなたはもうすでに、救われている。」






 確かに、「あなたはもうすでに、救われている」という言い方は、私も「?」と思う。言わんとしていることは、分からないでもないのだけれど……


 晴佐久神父の考えは、数年前にアメリカでも大きな話題となった(そして物議をかもした?)、ロブ・ベルの「Love Wins」に通じるかもしれない。「Love Wins」も、万人救済論的だと批判する人たちが少なからずいた。(Love Winsについて関心のある方は、こちらをどうぞ。小嶋先生のブログかわむかいさんのブログ )


 「Love Wins」のことは置いておいて、晴佐久神父の文章に関するFacebookの投稿には、私は次のようにコメントした。



う~ん… おっしゃるように、前半は問題なく読めましたが、「『信じる者は救われている』というが、何を『信じ』たからどう『救われる』のかが重要だ」以降の文章には、私も、う~ん、と思いました。「普遍的な救いをもたらすかたをキリストと呼ぶ」というのは、???ですよね… 「すべての人は、すでに愛されている」なら、わかるのですけどね…


ただ、一般的なキリスト教の布教方法として、「あなたは救われていない(だからこのままだと地獄に行く)」と、罪と裁きの宣言をして、それから「しかしキリストを信じるならば救われる(そして天国に行けるようになる)」という方向に持っていくやり方にも、私は疑問を感じています。姦淫の現場を見つかってイエスの前に連れて来られた女性に対して、イエスはまず、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」と、言われたことを思います。彼女の心や行動の変化よりも先に、「あなたを罪に定めない」というイエスの宣言があったのですよね。


そして、「あなたは悔い改めないと救われない、イエスを信じる決心をして天国行きの切符を手にしよう」と言われて、イエスを信じる決心をした人と、「あなたはすでに救われている、だからイエスが教えてくださったような生き方をしよう」と教えられてイエスの弟子となる道を歩み始めた人がいたとしたら、本当に神の国の恵みを味わえるのは、後者の人ではないかな、とも思ったりします…


福音をどのように提示するのか、そもそも私たちが福音をどのように理解しているのかは、本当に大切ですね…



 Facebook上では、私はそれ以上話を続けなかったのだけれど、キリスト者の福音理解と、伝道における福音の提示の仕方というのは、ずっと考えさせられてきたことだったので(だから『福音の再発見』を翻訳したのだし)、場所をこちらに移して、もう少し考えてみたいと思った。


 私が思うに、福音とは本来、それが伝えられたなら、人々が「それは本当に良い知らせだ! 私もイエスの弟子になりたい!イエスが教えていた生き方にそって生きていきたい!」と思うようになるはずのものではないだろうか。しかし、イエスを信じないと地獄で永遠に苦しむことになるが、信じれば天国行きが確実になる、と言われて信じた人にとっては、この世でイエスの弟子になるとはほとんど意味をなさないだろう。もし意味があるとしたら、救いから外れて地獄行きになってしまわないようにするためのもの、でしかないかもしれない。


 数ヶ月前、私の牧師と話をしていたとき、「クリスチャンの人にイエスの弟子になることについて話すのは抵抗がないのだけれど、ノンクリスチャンに『福音』を伝えるというのが、どうも苦手で…」と言ったら、「What is the Good News for you?」と聞き返された。What is the Good News for me?  死後に天国に行けるようになったことだろうか? それはそれで感謝しているけれど、私にとっての良い知らせって、そこにあるだろうか? 


 福音のグッドニュースたるゆえんは、変化への希望ではないだろうか? 私は、そしてこの世界は、変わることができる。これからは違う生き方をすることができる。もう、今までと同じでなくていいのだ、という… そんなことを、つらつらと、ずっと考えている。


追記:早速これを読んでくださったあるお友達が「私は何がそんなに嬉しいのかと言うリストを今日祈りの中でよく考えて見たいと思います」とおっしゃってくださった。これは、大切な問いかけだと思う。 皆さんもよかったら、ぜひ考えてみてください。皆さんにとって、福音の何が、どこが、グッドニュースなのでしょうか。福音の何が、人に伝えたくなるほどに、そんなに嬉しいことなのでしょうか? そしてぜひコメントください!^^





それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によりバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことをまもるように、彼らに教えなさい。(マタイ28:19-20)