今日のアドベント・プロジェクトより翻訳して抜粋。


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……いろいろな意味で、どちらの反応も、キリストが私たちの人生に与える影響力を反映するものです。キリストは、私たちの魂を解放するお方であると同時に、私たちの肉の生き方に敵対するお方でもあります。東方の博士たちや羊飼いたちのように、私たちにも、キリストを私たちを解放してくださるお方として見る理由があります。しかし、ヘロデにとってそうであったように、キリストは私たちが統治者として君臨することに終わりを告げる存在でもあります。キリストが主であるということは、私たちの内に反発を招きかねません。自分の人生の支配を手放すまいと、必死の努力をしたくなるのです。キリストこそ人間の抱えるジレンマの明らかな答えでありながら、キリストのやり方は私たちの生き方から見ると、直感に反しています。だとすれば、キリストへの私たちの応答もまた、同じように直感に反したものでなければなりません。キリストの誕生を祝うのなら、この世での利益はあきらめ、自分の計画を手放し、人間的な、自分を守ろうとする様々な思いにしがみつくことを、止めなくてはならないのです。キリストが王であるという概念は、単なる比喩ではありません。それは、私たちの全人的な献身を要求する真の統治勢力です。キリストの支配に抵抗したいという衝動を取り除いて初めて、私たちはキリストの誕生の美しさを完全に祝うことができます。


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