それ[祈り]は日々の生活における沈黙の時間の中で、独自の方法(歩く、立つ、座る、跪く等)による回想の積み重ねによって形作られるものです。沈黙を習慣づける為には、ロヨラのイグナチオの奨める意識の糺明(Examen)があります。


意識の糺明とは、半日毎あるいは一日の終わりに、今日一日の出来事一つ一つを丁寧に回想していくのです。


今日一日、自然と出会い、人と出会い、それらの中で自分の感じたこと話したこと、また人から話されたこと等などを詳細に観ていくのです。そうすることによって何かを発見したり、何かに気づかされたりします。その発見、その気づきがあなた自身に何らかの変化をもたらせ、祈りへと導かれるのです。


この延長線上に黙想、観想に繋がる祈りがあります。


これこそ私たちが求める「祈り」なのです。


(出典:祈りの宝箱



 私は今日、神が働いておられるのをどこに見ただろうか。


 私は今日、神が働いておられるのをどこで見逃しただろうか。


 私は今日、どの場面で神の子としての歩みにふさわしく行動しただろうか。


 私は今日、どの場面で神の子としての歩みにふさわしくない行動をしただろうか。


 ちなみに、特に、一日の中で自分が犯した罪について振り返ることは「良心の糾明」というらしい。