報道によると、彼はある疑いで取り調べを受けていた。そして、自宅の浴室で手首を切って亡くなっているのが発見された。(関連記事)それは、この小さな町では大変なスキャンダルだった。彼をよく知らない人たち、特に大人たちは、彼のことを極悪人呼ばわりした。


 一方で、彼の生徒たちは、この先生がいかに素晴らしい先生であったかを主張した。彼がいかに生徒たちの可能性を引き出し、その可能性を試してみる機会を与え、自信を与え、励ましを与え、何よりたくさんの愛を与えて、いかに自分たちに良い影響を与えてくれたかを声高に訴えた。


 みん(次女)は、この先生ととても親しかった。我が家で持ったみんの高校卒業パーティーにも来てくれて、子どもたちと一緒にゲームに興じていた。二人は、高校卒業後もずっと連絡を取り合っていた。彼はおそらく、みんにとって親の次にいちばんの応援団だったのだと思う。


 彼のスキャンダラスな死が報道されたとき、この小さな町は、彼を極悪人扱いする人たちと、英雄扱いする人たちに二分された。


 みんはこの先生が大好きだったけれど、彼が聖人ではないことはよく分かっていた。彼が稀に見る才能と、周囲の人たちに対する深い愛情を持っていると同時に、どうしようもない弱さや欠点も抱えていることを、よく分かっていた。彼女は彼を心底愛していたけれど、時には彼の幼稚さや勝手さにうんざりし、ものすごく腹を立てることもあった。みんは、先生の弱さと強さ、醜さと美しさの両方を承知した上で、彼を愛し,受け入れていたのだ。


 ミスター・ウォールは、自分が同性愛者であることで、父親から拒絶され、愛してもらえなかったと思っていた。彼が亡くなる数日前のフェイスブックの投稿で、彼は、父親が亡くなって今年で15年になること、父親から拒絶され、自分も父親に反発していたこと、でも父の死後15年経って、自分がいかに彼を愛し、彼から愛されることを欲していたかがよくわかった、今、父をとても恋しく思っている、というようなことを書いていた。それは、生徒たちも見るフェイスブックに、教師が書くものとしてはあまりにも赤裸裸すぎるような投稿だった。


 彼が亡くなるしばらく前、彼はみんに、いろいろと自分の葛藤について分かち合っていたそうだ。みんとしては、こういうことを話すのには、カウンセラーのところに行ったほうがいいのじゃないかと思ったそうだが、そうとは言わず、ただ黙って聞いていたらしい。先生の死後三日め、みんは私にこう言った。「私は、ミスター・ウォールが私の目の前で、文字通り壊れていくのを見たの。でも私には、してあげられることが何もなかった。私には、どうしようもなかったの……」 これを聞いたときは、49歳の教師が19歳の元教え子にそんなふうに思わせることを分かち合うとは常識はずれだと思って、私は正直言って、怒りすら覚えた。


 この先生は無神論者で、みんは何度も先生を教会に誘ったのだけれど、彼は「うん、うん、そのうちね」と言いつつ、ついに一度も来ることがなかった。みんは言った、「ミスター・ウォールは、たぶん、神様も父親と同じように、同性愛者の自分を受け入れてはくれない、教会に行ったら裁かれると思っていたのだと思う」と。


 ミスター・ウォールは演劇部の顧問でもあったので、一部の生徒たちは、彼を讃えるミュージカルを作って上演しようと提案した。しかしみんは、先生は自分が聖人であったかのように言われることは喜ばないだろうし、そういう派手なことは好まないと思う、と言って反対した。そして、先生が彼らに与えてくれたものを別の形で覚え、先生のいのちを祝うことを皆で考えた。


 ミスター・ウォールは高校でクリエイティブ・ライティングも教えていた。彼は生徒たちにいろいろなユニークな宿題を出したものだったが、中でも名物だったのが、生徒たちに15コほどの項目が並ぶリストを与え、5~10人ずつのグループを作って町に出てそれを実行し、それらについて文章を書くというものだった。そのリストには次のようなことが並んでいた。




  • マクドナルドに行って、知らない人に食事をおごる。

  • 知らない人の車を洗車してあげる。

  • 花をたくさん買って、近所の家々のドアの前に置く。

  • 老人ホームに行って、おじいちゃんおばあちゃんたちに喜んでもらえそうなパフォーマンスをする。

  • スーパーのレジなどで、順番を次の人にゆずる。

  • ドレスアップしてシカゴのダウンタウンの公園に行き、音楽に合わせて歌い、踊る。

  • 6歳以下の子どもたちのグループ(6人以上)に、本の読み聞かせをする。

  • 病院に行って、誰もお見舞い客のいない人を訪れ、しばらくその人と時間を過ごし、ささやかな贈り物をする。

  • シカゴ美術館に行って、半日そこで絵を観て過ごす。

  • 町の公園で、小学生を集めて一緒に野球をする。

  • 近所の人の家の前の雪かきを、その人が朝起きる前にする。

  • みんなで公園のゴミ拾いをする。


 等など…


 生徒たちは、こういったことを実行し、それによって相手がどのような反応をしたか、自分はどう感じたか、この経験によって自分の中で何か起こったか、などを文章にしたのだそうだ。みんもこの授業を取っていたのだけれど、随分変わったことをさせる先生だなぁと私は思ったものだった。


 そして、今改めてこのリストを見て気づいたことは、これらはどれも、見ず知らずの人を含め、周囲の人たちに親切な行為をすること、愛を表すこと、そして人生を喜び祝うことに関わるものばかりだったということだ。この先生は、それを生徒たちに行わせ、それが周囲や自分にどんな変化をもたらすのか体験させ、文章にすることでその体験を思いめぐらすという機会を、生徒たちに与えたのだ。なんという先生であることか!


 そして今回、生徒たちが亡き先生をしのび、彼が自分たちに与えた影響をもう一度思い出し、それをずっと心の中に生かし続けていくために、彼らがやろうと決めたのは、このリストを、みんなでもう一度実行することだった。


 私は、この先生のことをどう思ったらいいのか、もはや分からない。ただ、人とは、人の魂とは、いかに白黒はっきりさせることのできないものかと、痛切に思う。どんな善人の心にも闇の部分があり、どんな極悪人でも何らかの善や優しさがあるに違いない。人間の心とは、そんな、白と黒の間の、さまざまな濃さのグレーで彩られているのだろう。


 そして、イエスの恵みと憐れみとは、私たちがこの世に生きている間に体験するSuffering(苦しみ)やbrokenness(壊れ)やdespair(絶望)を、必ずしも人生から駆逐するのではなく、むしろ、Sufferingとhealing(癒し)、brokennessとwholeness(完全)、despairとhopeが共存することを可能にしてくれるのではないだろうか。そして人の魂の様々な濃さのグレーは、キリストの光が差し込むなら、それを反射させて七色に輝き出すことができるのだろう。


 ああ、それにしても… この先生が、自分は同性愛者だから神に拒絶され裁かれるに違いないと思っていたのだとしたら… そして誰にも分からない痛みの中で、希望を見出せなくなって自ら死を選んでしまったのだとしたら…


 主よ、あなたの憐れみを請い求めます……



追記:#LoveWins 2015年6月26日(米連邦最高裁が全州で同性婚認める判断をした日)の日記