昨日は、うちの教会のイブ礼拝に、家族6人プラスみんの友達二人(ナンシーとエリカ[仮名])を連れて行ってきた。12月に入ってから、Finding Christ in your ChristMESSというメッセージシリーズをやっていて、先日の話しではないけれど、Messy(ごたごたしている、混乱している、よごれている)な私たちの心や生活の中に、救い主が敢えてやってきてくださる、救い主をお迎えする、というメッセージ。


 振り返ってみると、私のこの一年の生活も、それはそれはmessyだった。これについては、また日を改めてリフレクトしよう。


 そしてその後は、みんを除く家族5人でミツワへ。みんは疲れていたので、友達を連れて一足先に家に帰った。私たちが帰宅すると(夜8時前)、みんは熟睡していた。


 本当は、エリカは私たちと一緒にミツワに行くのを楽しみにしていたのだけれど、みんが疲れていて行きたくないと言ったため、エリカも一足先に帰宅した。


 礼拝は素晴らしかったし、ミツワも楽しかったのだけれど、夜寝る前に祈っているとき、この半年あまり、我が家に入り浸っていた何人かの若者たちのことに思いが及び、なんとも切ない気持ちになった。


 エリカは、1月2日にはうちを出ることになっている。エリカを期間限定でうちに住まわせることについては葛藤があったし、ある意味、私にとってはずっとチャレンジだった。それでも、何らかの形で彼女の助けになればという思いがあったし、私にとってのいちばんの動機は、彼女を愛したかったのだ。それなのに、私は、当初思っていたようには彼女を愛せなかった。問題を抱えた若者が、無条件の愛を受けてどんどん変えられていった、というような証しを聞くことがあるけれど、私の中には、3ヶ月間でも一緒に住んで、私が彼女を愛することで彼女が変われるならば、という、ある種の奢りもあったのだと思う。でも私は、無条件の愛なんて、ちっとも注いであげることができなかった。彼女の素行が気になり、ハラハラしたり、イライラしたり。せっかく食事の用意をしたのにエリカは食べずに出かけて、数日帰って来なかったり、そうかと思うと、突然食事時に帰ってきて驚かされたり。アクシデントだけれど壁に大きな穴を開けられてしまったり。正直、心の中で、早くいなくなってくれないかな、と思っていることが多かった。そんな私だったので、この3ヶ月間、自分の愛のなさを嫌というほど思い知った。


 エリカだけではない、ほかにも、Mという子がいて、その子もうちに入り浸っていた。ものすごい偏食で、うちでよくご飯を食べていったのだけれど、野菜は一切食べず、白いご飯にとんかつソースをかけたものばかりを食べていた。私はMに少しでもいろいろなものを食べさせようと、あれこれ工夫したものだった。と同時に、そんなに偏食なら、うちでご飯食べなくてもいいのに、と内心思ってしまうことも少なからずあった。


 本当は、この子たちのことも教会に定期的に連れて行きたかったのだけれど、二人とも日曜日にはうちに寄り付かず、結局教会に連れて行けたのも数えるほどだった。


 そんなことを、あれやこれや思いめぐらせつつ、祈っていた。神様、私は、あなたが私にさせたいと思っておられたであろうことを、結局何もできなかったように思います。愛したい、受け入れたいという思いと、自分の生活を乱されたくないという保身の思いが交錯し、結局何もできなかったように思います。今はただ、自分の愛のなさと無力を思い知らされています…


 エリカは、夕べもどこかへ出かけたきり、うちに帰って来なかった。今朝は、例年のように家族でクリスマスツリーの周りに集まり、賛美歌を歌い、夫が少し分かち合いをし(また、お父さんの留守中、みんなよく頑張ったねと、ねぎらいの言葉もかけ)、祈り、それからクリスマスプレゼントを開ける時間を持った。私はエリカへのプレゼントとして、象印の炊飯器とお米一袋と、彼女が好きだった日本の「塩こしょう」、それからぼぼるパパが京都で買ってきたちりめんのお財布を包んで、ツリーの下に置いて待っていたのに、彼女は帰ってこなくて、正直、悲しかった。


 3ヶ月半の夫の留守のあと、クリスマスにはこうして家族6人揃って、いつものような時間を持てたのはとても感謝だったのだけれど…


 それから、ささやかながらクリスマスディナー。ハムとパイナップルソースとマッシュポテトとカリフラワー&ブロッコリ。6人でくだらないことをしゃべり、笑い、感謝なひとときだった。


 そのあと、食事の後片付けをしていたら、午後2時頃エリカが戻ってきた。そして、「クリスマスディナーはいつ食べるの?」と聞く。「ああ、今、ちょうど終わったところよ。」私は、今ごろ帰ってきてそんなこと言われても…と思いつつ答えた。


 エリカは、片付け終わったテーブルを見ながら、「お皿貸してください。」「どうぞ、自由に取って使っていいよ」と私。そして、ちょっと別の部屋に行って戻ってくると、キッチンのテーブルの上がこんなことに。


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 夕べは、友達の家に行って、ずっとクッキーやカップケーキを焼いていたのだそうだ。今朝も、午前中はずっとその続きをしていたのだそうだ。私は、びっくりするやら、その心が嬉しいやらで、涙ぐんでしまった。そして「エリカ、こっちにいらっしゃい」とツリーのところに彼女を呼んで、プレゼントを渡すと、彼女は、包みを開けて、歓声をあげていた。そして、今日はまだ何も食べていないというので、食事の残り(たくさんある)を出して、プレートを用意してあげた。昨日、彼女のためにミツワのベーカリーで買っておいた、ケーキも一緒に。


 それだけではない。さらにMも、「ミセス・ナカムラへ」とプレゼントを持ってきてくれた。


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 あらまぁ、私好みのキャンドル!


 夕べ神様の前でぐずっていた私に、神様ご自身が、彼らを通して、ねぎらってくださったような、そんな気がした。私がこの子たちのために、いったいどんな助けができているのか、さっぱりわからないけれど、私が期待していたような「無条件の愛を注ぐ」ことからはほど遠いことしかできなかったけれど、もしかしたら、何かほんの少しは、彼女たちの魂に届いていたのかなと、祈りを新たにさせられた。


 それにしても今年は、ブログに書ききれないようなことがたくさんあった。クリスマスのメッセージがMessについてだったのは、私にとってあまりにタイムリーで。


 ああ、さっきまで静かだったのに、背後にみんの友達がどやどやとやって来た。食べ物を取りに来た様子。(笑)


 神様、あなたの祝福が、平安が、恵みが、守りが、この子たちと共にありますように。この家族はどうしようもなくmessyな家族ですけれど、それでもあなたがご自由に用いてくださいますように。


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