今日のバイオラ大学のアドベントプロジェクトのディボーショナルもとても良かった。






マリヤは言った。ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。…


「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。…」(ルカ1:38、46-48)



 結婚を控えたマリヤの身に起こったことは、大変なことだった。突然御使いの訪問を受けて、「おめでとう、恵まれた方」と言われても… 「あなたはみごもって、男の子を産みます」って… 予定されていた結婚が台無しなるかもしれない。もうまともに結婚できなくなって、人生そのものも、台無しになるかもしれない。それなのに、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えたマリヤ。


 今日のディボーショナルでは、マリヤのアイデンティティーは、「主のはしため(The Lord's servant, bondslave)」だったと指摘されていた。昨日も主のはしためだったし、今朝目覚めたときも主のはしためだったし、明日も主のはしためであり続ける…それが彼女のアイデンティティーだった… このアイデンティティーがあればこそ、マリヤは怖れにも直面することができた。神の御使いと向き合うこともできた。自分には理解できないこと、不確かなこと、不明瞭なことにも向き合うことができた。このアイデンティティーがあればこそ、マリヤは自由になれた。信じ、希望を持ち、前進し続け、支配を手放し、神の憐れみの中に力を見出し、神が自分のためになしてくださった素晴らしいことの中に力を見出すことができた。いつもそうしてきたように、これまでお仕えして来たかたに寄り頼み、これからも仕え続ける自由を持つことができた…


 私は、自分のアイデンティティーを考えるときに、神の子どもとされた者、神に愛されている者、と考えることが多かった。もちろん、それもそのとおりで、紛れもなく私のアイデンティティーだけれど、それに「主のはしため」も加えたいと思わされた。問題は、私は本当に主のはしためとして生きているのか、ということかもしれないが…