chaos

 人生って、わからないものだな、と。


 5年前の私は、今の状況を予想だにもしていなかった。私の生活のいろんなレベルで、外から見るとまったく無関係に思えるさまざまな事柄が同時進行でどんどん動いていき、正直言って、何これ、ただのカオスじゃん?みたいな感じですらあるのだけど。(苦笑)


 でも、起こっていることのすべてが(外的なことも、内面的なことも)、みな主の御手にあって、一つの物語を紡いでいるのがわかる。このプロセスを通して、私は随分変えられた。今もまだまだ変えられつつある。


 カオスといえば、最近ちらっと読んだポーキングホーンの本の中でカオス理論について触れられていて、自然界では、カオス(混沌)の中から自発的に秩序が生まれてくることがあるという記述を読み、目からウロコだった。私の生活も今、カオスなんですけど、主を待ち望む中で、神様の秩序が見えてくる気がしています。何しろ、神様の系(system)というのは、私たちが通常知っている系とはまったく違うはずですから。ものごとの振る舞いも、私たちが知っている狭い系の中で計算できる振る舞いに限定されるものではないのでしょう。


 そういえば、N.T.ライトの"The Case for the Psalms"という本の中で、詩篇に現される世界観というのは、私たちを時間、空間、物質の三つの交差点に存在するよう招いている、とライトが言っていたのをふと思い出す。時間の交差点とは神様の時間、すなわち私たちにとっての「過去」と「未来」が、私たちの「現在」において重なり合うところ。空間(場所)の交差点とは、私たちの住む場所(「地」)と、神の住まわれる場所(「天」)が重なり合うところ。そして物質の交差点とは、私たちが通常知っている物質や肉体、すなわち神が「よい」と言って創造された物質と、キリストの復活のときに完成される新創造の重なり合うところ。


 この交差点こそ、まさに神様の「系」? 私たちがその世界観に住まうなら、どんなにカオスに見える状況であっても、そこから主の秩序が生み出され、美しいものが姿を現すに違いない…なんてことを、つらつらと夢想する昼下がり。


 そして、もう一度、エティ・ヒレスムの祈りを思い出しつつ、私も祈る。



I now realize, God, how much you have given me. So much that was beautiful and so much that was hard to bear. Yet whenever I showed myself ready to bear it, the hard was directly transformed into the beautiful. And the beautiful was sometimes much harder to bear, so overpowering did it seem. To think that one small human heart can experience so much, Oh god, so much suffering and so much love, I am so grateful to You, God for having chosen my heart in these times to experience all the things it has experienced.


私は今わかったのです、神様、あなたはなんと多くのものを私に与えてくださったことか。とても多くの美しいものと、とても多くの負い難きものを。それでも、さあそれを負いましょう、と自分に言うたびに、負い難きものがそのまま美しきものへと変えられたのです。そして、美しきものは、あまりに私を圧倒するように思えて、むしろこのほうが負うのが大変だと感じられるほどです。この小さな人間の心がこんなにも多くのことを体験できるなんて。ああ神様、なんと多くの苦しみと、なんと多くの愛でしょう、私はあなたへの感謝にたえません。このようなときに、この私の心をお選びになり、これらすべてのものを体験させてくださったなんて……