これから数ヶ月、エリカ(仮名)というアメリカ人の二十歳の女の子が私たち家族と一緒に暮らすことになった。みんの友達で、ここには詳しくは書かないが、いろいろ大変なところを通ってきた子だ。ためらいもあったけれど、9月のはじめに彼女がホームレスになったと聞いたときから、神様から促されるものを感じたので、思いきって受け入れることにした。


 


 しばらく前に、「Simplicity」(ミンディ・カリグアイア著)という本を読んだ。Simplicityとは、なかなか日本語に訳しにくい言葉だけれど、、二心(ヤコブ1:8、4:8)や偽善や煩雑さがなく、ただ一つ(ルカ10:42)のものに焦点を合わせている状態、ということらしい。著者は、Simplicityの反対は、complexity(複雑さ)ではなく、duplicity(二心)やmultiplicity(煩雑さ)、divided(分断)であると言っていた。


 その本を読んで以来、自分の心や生き方に、二心や、複数方向から引っぱられ引き裂かれるような分断、ごちゃごちゃした煩雑さが入ってきていないか、意識するようになった(結構入ってきてました 汗)。しかし、今回、促しを感じたからこそエリカを受け入れることに決めたものの、それではなんだか、生活がますますごちゃごちゃしそうだなぁと、ちょっと首をかしげたりもしている。でも、首をかしげつつも、ここに何か、神様の意図があるように思え、納得もしている。Simplicityの著者も、Simplicityをもって生きるがゆえに、ときには生活が複雑に見える状態になることもあると言っていた。Simplicityとは、単に簡便さや管理のしやすさ、という意味ではないのだ。この決断に平安と喜びはある。


 エリカがうちに住むだけでなく、エリカの友達もうちに出入りすることになる。一見すると複雑なことになりそうだけれど、その複雑さが、私がますます「ただ一つ」のものを求めること、そこに留まろうとすることを、助けてくれるのかもしれない。神様のなさること、導かれる方法は、いつも不思議だから。


 彼女がここにいる間に、少しでもイエス様の愛を感じることができますように…