エゼキエル24:15-27を読んでいた。エゼキエルの妻が神の一打ちによって死んでしまう箇所。エゼキエルが罪を犯したのでも、妻が罪を犯したのでもない。神様は、預言者であるエゼキエルをイスラエルのための「しるし」として(24節)、イスラエルに大切なことを語ろうとした。それは、淫行に満ちたイスラエルが、ヤハウェこそ主であることを知るため…
 ESV Study Bibleの解説に、Ezekiel has learned that there is nothing that God cannot ask of him(エゼキエルは、神が彼に求めることのできないものは、何もないことを学んでいた). とあり、ハッとした。私はそれを学んでいるだろうか? 私は、私の好まないことが起こると、ふてくされたり、不公平だと言ってグズったり、いじけたりしてしまう。エゼキエルとは大違いだ。でも、私は預言者ではないけれど、それでもヤハウェを主と呼ぶ者として、神のしもべとして、私もまた、神が私に求めることのできないものは何もないことを、学ぶべきではないのか?

 畏怖に満たされ、主の前にひざまずく日曜日の午後……



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