メモ。


 "祈りとは、神がなさっておられることと、そこに私たちがどのように関わっていけるのかを理解するための、主体的で、意図的な努力です。私たちは、祈りを通して神と共に働く者となるのです。すべてを動かすのは神のご意志です。ディボーション(神を求め、礼拝したいという願いから来る熟考)と祈りとによって導かれる私たちの意志によって、私たちは神の目的に参画する者となります。祈りとディボーションは私たちの内なる存在を形作るのです。これら二つの内なる行いこそ、私たちの意志と知性が神に捧げられるための方法です。"


 (Longing for God by Richard Foster and Gayle Beebe, from the chapter on Thomas Aquinas)


 さすが、アキナスの言うことは難しいわ。でも、祈りが「神がなさっておられることと、そこに私たちがどのように関わっていけるのかを理解するための、主体的で、意図的な努力」というのは、目からウロコかも。


 さらにメモ。


 「アキナスは、理性と信仰とを敵対し合うものとして位置づけることは決してしなかった。理性と信仰は神を知るために共に働く二つの方法であり、どちらも妥当で、どちらも必要である。信仰は理性を完全なものとし、理性は信仰の根拠となる。理性によって私たちは良い人生とはどのようなものであるかを吟味し、適切な生き方を選ぶことができ、信仰は、私たちがその人生にコミットすることを可能にする。」