今週の月曜日の夜、ERへ行きました。事の発端は、土曜日の午後あたりから急に首が痛くなったことでした。私は普段、パソコン作業が多いわりには、肩こりや首のこりなどとは無縁の人なので、突然の首の痛みに戸惑いました。しかも、いわゆる「こってる」という感じではなく、随分uncomfortableで、横になっても辛いし、息切れもするし、胸が締め付けられるような痛みもあるし… これはまさか、心臓系?と疑いました。1年前に母が心筋梗塞で倒れたときも、数日前に肩こりのような痛みが出たと言っていたこと。日本で見た健康番組で、50前でも心筋梗塞になる人がいる話しがあったこと。日本で高校時代の友人たちと会ったとき、その中の一人で救急科の内科医になっている友人が、女性の心筋梗塞の症状は、非典型的な症状が出るのが典型なのだ、中高年女性が気持ちが悪いといって救急科にきたら、真っ先に心電図を取る、と言っていたこと。そんなことが重なって、あまり我慢しないでお医者さんに診てもらったほうがいいかも?と、月曜日の朝に主治医に連絡をしました。


 とりあえず、「火曜日の朝いちばんに来なさい、でも、できればすぐにERにいったほうがいい」と言われ、翌日に予約を入れたものの、夕方になってドクターのオフィスから電話があり、「大丈夫なの? ERに行ったほうがいいんじゃないの?」と言われたので、やっぱり行ったほうがいいのかなと思って、結局ERに行きました。


 結論を先に言うと、心電図、レントゲン、各種血液検査、ストレステストを受け、24時間入院して様子を見た結果、すべて異常なしでした。その後、金曜日に主治医のところでフォローアップの診察を受け、血栓ができていないことを確認するため、CTスキャンも受け、その結果もすべて異常なしでした。考えられる理由として、やはり、パソコンの前の仕事が多いので、姿勢が悪かったのだろうという、いちばんありそうなケースでした。(苦笑)とにかく、心臓には問題がないことが分かり、一安心でした。


 それにしても、今回の日本訪問は、楽しかったものの、身体にはやはりキツかったのかもしれません。疲れが出たのか、元のペースを取り戻すのに時間がかかっています。まぁ、もう若くないのだし、のんびりいきます。入院したことでゆっくり眠れたし、身体にはよかったのでしょう。


 また、改めて身体の管理の大切さも感じています。霊的形成の観点から言っても、身体は重要です。身体と霊は独立して存在するものではなく、密接に関わっているからです。


 



 体は善いものです。神は体を善いものとして造られました。だからこそ、イエス・キリストの生き方は、徹頭徹尾「受肉」したものなのです。体も大切にし、適切に養うべきです。私たちの主人としてではなく、神のしもべとしてです。しかし、ほとんどの人にとって、体が生活を支配するものになっています。…  (心の刷新を求めて p.285)


 


 人間は体を通して満足を得るようになり、体こそ欲しいものを手に入れるための主要な(場合によっては唯一の)手段になります。そうなると、神が本来意図しておられた生活での体の役割が歪められてしまいます。その結果は「死」、すなわち神から切り離された状態であり、自分の人生で培ったものをすべて失うことです(ガラテヤ6:8)。… (同上 p.287)


 体を適切に再訓練し、養うことは、キリストに似た者となるための絶対的な基本です。体はただの物質的な物体ではありません。成熟するにつれ、「内面」生活の質を帯びるようになります。(同上 p.297)



 ウチの教会の霊的形成パスターは、霊的形成と身体の関係について、特に次の三つの点に注意を払うようにと言います。


(1)睡眠:毎晩、体が必要としている充分な睡眠をとっているだろうか? 充分に寝ていないのだとすれば、何が睡眠を削る理由になっているのか? TVやインターネット、ゲームなどに時間を取られ過ぎているのかもしれないし、何らかの心配事があって寝付けないのかもしれない。あるいは、片付けなくてはと思っている仕事があって寝ているヒマがないのかもしれない… いずれも、神様以外のものに自分を支配させていることになる。


(2)身体の緊張:自分の人生を自分で仕切ろうとしていると、いろいろな場面で身体にも力が入り、緊張してしまう。肩のコリや胃の痛みのような形で出てくるかもしれない。私の人生を、そしてこの世を、治めておられるのは神であるということに信頼し、身体をリラックスさせることを学ぼう。


(3)食生活:西洋文化(日本も含め)では、食物はストレス解消の方法になっていたり(大食や過度に贅沢な食事など)、逆にストレスのもと(体型を気にしすぎるなど)になったりしているが、本来の食物の目的は、神が与えてくださった身体に適切な燃料を与えることだった。自分は食物に何を求めているだろうか? 自分が食物を口にするときの動機は何だろうか? 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。(1コリント10:31)」


 神様からいただいた身体を、適切に管理すること。と同時に、必要以上に身体のことを心配しすぎないように。私の場合、身体に不調を感じるとき、不調そのものよりも、何か恐い病気の症状だったらどうしよう?という、精神的不安のほうが大きくて、それがストレスになってしまうことがあります。私の地上でのいのちの日数を握っておられる主に信頼しつつ、主に従います、主を愛します、と言っている者にふさわしく、聖霊の宮であるこの身体を大切にしていきたいです。