ツイートしましたが、こちらにもメモしておきます。


 今日のファミリーディボーション("The Story"のDVDを使った学び)で、パパが子どもたちに言ったこと。



 Your life is a part of something bigger.



 このパースペクティブを持つことは、本当に大切だと思う。自分だけを見るなら、辛いことや苦しいこと、わけわかんないと思うことにぶつかると、嫌になってしまう。不公平だ、納得いかないと思ってしまう。でも、自分は何かもっと大きなものーー神様が造られた世界、神様がその世界のために持っておられるご計画ーーの一部なのだと知っていれば、すぐにメイクセンスできなくても、死ぬまでメイクセンスできなくても、まだ見ぬものを信じる信仰を持って、今置かれている自分の状況をも、平安のうちに受け止められるだろう。そしてその中で、神様の恵みと、愛と、善と、義に信頼して、主に導かれていくことを選べると思う。


 先週の金曜日は、スピリチュアル・ディレクションのセッションの日だったのだけれど、そのときにも、ちょっとそんな話題が出た。白なのか、黒なのか。白でもない、黒でもない。そういう宙ぶらりんのような、グレーゾーンにいることについて、どう折り合いをつけるのか。どう受け止めるのか。パスターはそれをthe third way of livingと呼んだ。


 それは、必ずしもグレーゾーンに留まり続けることでもない。神様が着実に「完成」に向けて自分を、そしてこの世界を、導いてくださっていることを信じる。ただ、そのペースも、方向も、方法も、神様に委ねるということ。受動的にではなく、積極的に委ねることを自ら選ぶこと。


 この、白黒はっきりつけないというのは、ポストモダンの相対主義とは違う。むしろ、神という絶対的な存在、自分をはるかに超えた絶対的な軸があるからこそ、自分には分からないことがあっても構わない、自分が「神」でなくても構わない、それを受け止めて、なおかつ平安でいられる… そういうことかなと、今日になってから思った。


 ちなみに、今日の学びは、ルツ記から。「神が私を見放した」というナオミの深い絶望。でも、ナオミには想像もつかなかった形で、神様は贖ってくださった。ボアズがルツに親切だった背景には、ボアズの母ラハブが異邦人だったこともあるだろう。ボアズは、母が異邦人ゆえに肩身の狭い思いをするところを見ながら育ったのかもしれない。だから外国人で苦労しているルツに特別の愛情を感じたのかもしれない。そしてボアズとルツの間にはオベデが生まれ、オベデにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた…


 Your life is a part of something bigger.


 自分の人生だけを見るなら、メイクセンスしないこともあるかもしれないけれど、私たちは、私たちを超えたもっと大きなご計画の一部なのだ…