夕べは、シカゴ大学でもたれたN.T.ライトの講演会へ行ってきました。


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Western culture has been shaped by many forces, resulting in unquestioned assumptions about everything from academic life to public policy. Often the Bible has been squeezed out of shape by these forces. What might the Bible itself say about that, and how might its counter-cultural message make its way in tomorrow’s world?


N.T. (Tom) Wright is Research Professor of New Testament and Early Chrisitanity at St. Mary's College, the University of St. Andrews, in Scotland. He served as Bishop of Durham (Church of England) from 2003-2010. Before that, he served as Canon Theologian at Westminster Abbey. He has also held academic posts at McGill University in Montreal and Oxford University in England. With two BAs, an MA, a DPhil, and a DD from Oxford, Wright has published widely in New Testament studies and theology. His books include Jesus and the Victory of God, Simply Jesus, and How God Became King. He is also the author of a series of New Testament commentaries published under the title of The New Testament for Everyone.


Sponsored by The University of Chicago InterVarsity Christian Fellowship, the Office of Spiritual Life, the Student Government Finance Committee, and Holy Trinity Church.



 開始時間の15分くらい前に会場に到着したときは、まだあまり人が集まっていなくて、「嘘でしょ?」という思いで、前から2列めに陣取りました。私の前には誰も座っていなかったため、信じられないくらい眺め(?)が良かったです。


 聞き覚えのある声が聞こえてきたので、顔をあげると、私からそう遠くないところに、N.T.ライト師が! 私のミーハーの血が騒ぎました。(笑)ちゃんとしたカメラではなく、iPadでの撮影なので、すっかりボケた写真になってしまったのが残念です。(汗)二枚めの写真なんて、まるで印象派の絵みたい…


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 講演とその後の質疑応答で、2時間弱くらいだったでしょうか。あっという間でした。会場の人の入りは、最終的にはそこそこ一杯になっていましたが、だいたい150人くらいでしょうか。ほとんどがシカゴ大学の学生だったのではないかと思います。


 講演のオープニングは、予想どおり、先週のアメリカの選挙に言及し、「ブリテンでも皆さんの国の選挙を興味深く拝見していました。ブリテンでも選挙は大イベントですが、それでも、アメリカの皆さんのような反応は、私たちの間ではほとんど見られません。こちらの皆さんは、半分の人たちはユーフォリア状態になり、もう半分の人たちはすっかり絶望していましたね。一方私たちは、誰が総理大臣になろうと、その人がユートピアをもたらすことができるわけではないと知っているので、そのような反応はしないのです…」 ライトさんが言うと、全然嫌味ではありませんでした!


 講演のあと、果たしてお話することなどできるかしら、と緊張していたのですが、FB上で行っているライト師のHow God Became King読書会を代表してご挨拶せねば、という思いと、セント・アンドリュース大学でライト師の学生であるYさんが、ライト師に私のことを伝えておいてくださったとのことだったので、トークと質疑応答のあと、まだ人が集まり始まる前に、速攻で先生のところに駆け寄り、ご挨拶しました。(Yさんの友人ですと言うと、「オオ!」とにっこりうなずいてくださいました) 「日本にもぜひいらしてください!」と申し上げると、"It's not impossible. I'm trying to cut down traveling, but I've never been to Japan, so...."と。^^ ああ~、実現したら素晴らしいですね~! ライト師は、世界的に有名な神学者であられますが、とても優しそうで、親しみやすい雰囲気で、決して近寄りがたい恐い感じの方ではありませんでした。質疑応答のときなども、質問者に「それはとても良い質問ですね」と言いつつ、丁寧に回答しておられました。「後半が抽象的でよく分かりませんでした」と言う質問者の言葉にも、「多くのことを詰め込みすぎて、抽象的になってしまいごめんなさいね。もっと分かりやすくできればよかったのですが」と、まぁ、なんと謙遜なことでしょう!


 講演の内容は、聴くのに夢中で、ちゃんとノートを取らなかったため、特に印象に残った部分だけ、以下にメモします。





(1)主観と客観が統合された「知る」ということ。自分の世界の中だけで何かを知るのでなく、一歩下がって客観的に観察するだけでもなく。そのようなintegrated way of knowingを、聖書は「愛」と呼ぶ。愛は知る対象を客観的に肯定し、主観的に関わっていく。


(2)大切なのは、勝ち誇ったように『正しいこと』を行うことではない。神に示されていること、神から与えられているものに対して、どれだけ忠実であれるかである。忠実に労し続けるなら、そこにどんな困難があっても、神の目にあなたの働きが無駄になることはない。


(3)神の国を完成させるのは、神がなさること。しかし私たちにも、神の国の完成に向けて、できることがある。それは、建築の匠に使っていただくための、石を切り出す作業にも似ている。


(4)真理とは、「これが真理でこれは真理ではない」というようなものではないと思う。自分が置かれた状況の中で、私たちが言葉を発することにより(必ずしも「言葉」に限らず、行動による場合もあるが)そこに神の秩序をもたらすなら、それが真理なのである。


講演の前半は、How God Became Kingの内容ともかなり重なっていました。エピキュリアンや啓蒙思想、そしてディスペンセーションへの批判、またアメリカのcultural warsにも言及されていました。(イギリスでは、スコープス裁判はあり得ない、とか。ライトさんがそうおっしゃったとき、聴衆は無反応だったのですが、シカゴ大学の学生たちは、スコープス裁判を知らないのかな?と思ってしまいました。)


(1)については、啓蒙思想が切り離してしまったことを、統合することを、私は提唱したいのだ、とおっしゃっていました。啓蒙思想は客観と主観、右脳と左脳、聖と俗、論理と直感・感性、政治と宗教、というように、さまざまなことを切り離して考える土壌を私たちの中にもたらした、ということを、繰り返しおっしゃっていました。


(2)は、講演の一番最後、締めくくりとして言われたことです。これを聴いただけでも、来てよかったと思い、涙ぐんでしまいました。


(3)は、Surprised by Hopeを読んだ参加者からの質問に対するライト師の返答でした。Building the Kingdom of God と、Building for the Kingdom of Godを区別し、一昔前のsocial gospelはBuilding the Kingdom of Godを標榜し、自分たちでやろうとしていたけれど、そうではなく、実際に神の国を完成させるのは、神ご自身の働きである、と。私たちが行うのは、build FOR the kingdom of Godなのだ、と。


(4)は、特にヨハネの福音書からの考察だそうです。イエスご自身が「ことば」であり、その「ことば」がこの世にspeak intoされたとき、「真理」となった、というような… ライト師は、真理については、かなりstruggleしてきた、とおっしゃっていました。


 今週の金曜日には、シカゴヒルトンで、スコット・マクナイトとコラボの講演会があります。ぼぼるパパも一緒に来てくれるようなので、そちらにも行ってこようと思います。今度はちゃんとカメラを持って…