昨年の夏の終わりごろから取りかかっていたBoundaries in Marriage(BIM)の翻訳原稿を、夕べ、ついに脱稿しました。 
 原稿を出版社さんに送付した際、次のようなメールを書きました。


Oさん、
 残りの章のすべてを送ります。

 本当にこれは、素晴らしい本だと思います。

じっくり読み込むことで、私も今回、非常に多くを学びました。

この一年の間で(特にこの数ヶ月で)、すでに私たち夫婦の関係も、変えられてきているように感じます。

 ある時点で、私は夫に、泣いて懇願してこの本の原稿を読んでくれるよう頼みました。
 でも彼は、忙しかったこともあり、結局半分くらいしか目を通してくれませんでした。
 一緒に読まなくちゃ意味ないじゃない!と思い、読んでくれないことで夫を責め、恨み(?)ました。

 しかし、本書を何度も最後まで読み込むうちに、私は結局、どこかで夫に責任転嫁をしていたことに気づかされました。

 彼も変わってくれないと、夫婦として成長できないと思っていたのです。
 あるいは、私だけ変わるのはずるい、彼にも変わってもらわないと、という思いがありました。
 今回の翻訳を通して、境界線のコンセプトが、霊的形成と深くつながることに気づきました。
 本書で説明されるような健全な境界線を持つ人とは、キリストに似た者であるにほかならないと気づきました。

 本書のどこかで、霊的・人格的に成長することに目覚めた人の配偶者が、そのせいで暮らしにくくなるというのはおかしいのです、みたいなくだりがありました。つまり、妻あるいは夫が、境界線を夫婦関係の中で実践しようとし始めたことで、配偶者に口うるさく言うようになったり、成長に関心を示さない配偶者に嫌みを言ったり疎んじたり、という状況になるのはおかしい、ということです。
 グサッときました。 

 結局、自分がキリストに似た者に変えられることを求めるよりも、私の益のために夫にも変わってもらいたいと思っている自分に気づかされました。

 しかし、本来、人格的成長、霊的形成とは、自分自身に当てはめるものであり、さらには、自分が成長し変えられていくのは、for the sake of othersなのですね。これは、ウチの教会の霊的形成パスターが言っていたことなのですが、BIMで著者が言っていることと、見事に合致したのです。「私の成長は他者のため」というコンセプトは、私にとって、非常に大きな気づきでした。それに気づいたときに、私の中で何かが大きく変わった気がしました。

 Oさん、どうぞ期待してお読みください!

 先にもお伝えしたように、何カ所か漢字かひらがなで迷ったところがあります。迷いながらも、統一はされているはずだと思いますが、「ぼく」か「僕」か、また「じつは」「実は」は、もしかすると統一されていないかもしれません。

 また、最後にもう一度読み返して、ここはどうする?と思った箇所も少しあったので、それもコメントをつけておきました。

 Eさんの素晴らしい的確な編集のおかげで、日本語もずいぶん滑らかに、読みやすくなっていると思います。

 では、どうぞよろしくお願いいたします。


 文中のEさんとは、前回の『子育てコーチング』、そしてかつてことば社さんから出版した『あなたはどこに愛を探していますか』でご一緒させていただいた、フリーの敏腕編集者さんです。私が翻訳した原稿にたっぷり朱入れしていただき、二人で数回読み返して細部まで整えたあと、Oさんに送り、Oさんにチェックしていただいてからゲラ刷りになります。  


 翻訳は概して孤独な作業になりがちなのですが、ここ数回の私の仕事は、出版社さん、編集者さん、企画に携わってくださっている先生、そして試読などで協力してくださった友人たち、そしてブログ他で応援してくださる皆さんのおかげで、チームとしてのプロジェクトという意識の中で進んでいます。本当に感謝です。特に今回は、友人のhiroさんが数年前に本書を自分用に訳したものがあるとのことで、hiroさんの貴重な原稿も提供してくださり、初期の翻訳段階でところどころ参考にさせていただくこともできました。本当に感謝です!


 私がBoundaries in Marriage を最初に読んだのは、『境界線~バウンダリーズ~』 を翻訳出版した後のことでした。当時、翻訳出版の話があったのですが、諸事情で流れてしまい、そのままになっていました。それが今回、『心の刷新を求めて』以来ご一緒させていただいているT先生の強いご推薦もあり、『子育てコーチング』に続いての翻訳となりました。


 『境界線~バウンダリーズ~』を翻訳出版したあと、同著者による「Safe People」「How People Grow」などを読み、また霊的形成に関する本である『心の刷新を求めて』を翻訳したことを通し、今回、Boundaries in Marriage に対する私の理解もずいぶん深まったように思います。7年前の私だったら、こうはいかなかっただろうなと思います。このタイミングも、主によるものだったのでしょう。


 中でも、上記のメールの中で書いたように、健全な境界線を形成するとは、霊的形成(変容)に含まれるという気づきは、私にとって「開眼」でした。著者のクラウド&タウンゼントは、人格的成長とは霊的成長にほかならないということを、「How People Grow」などの中で述べているのですが、私の中でそれが、霊的形成と結びついたのです。そう思って「境界線」シリーズを読み返すと、クラウド&タウンゼントが境界線を育てるために勧めているさまざまな事柄を、霊的修練(Spiritual Discipline)という観点から受け止めることができます。


 私の教会の霊的形成パスターも、日頃から、「霊的修練」とは、聖書を読む、祈る、断食する、独りのときを持つといった、いかにも「霊的」な活動だけに留まるものではないと、口を酸っぱくして言っています。さらに、うちの霊的形成パスターは、私たちが「キリストに倣う者」に変えられ、「私たちのうちにキリストが形造られる(cf. ガラテヤ4:19)」よう召されているのは、他者のためである、とも言っています。


 共同体の中に生きるように召されている私たちが、キリストに似た者に変えられていくなら、それは、その共同体のメンバーにとって何を意味するでしょうか。ここで私が言っている「共同体」とは、教会などの主にある共同体だけを指すのではありません。家庭に始まり、自分が住む町、都市、国、また、自分が所属する各種団体(会社、学校、その他)も含まれます。私が主にあって成長し、主にあって変えられていくことを求めるのは、私個人の益のためではなく、単に「私と神様の個人的な関係」を深めるためだけでもなく、それがそのまま、同じ共同体に生きる他の人々にとっても益となるからではないでしょうか。「みこころが天になるごとく、地にもなされますように」との祈りの成就が、神の国の宣教が、そこから始まるからなのではないでしょうか。ウィラードが、伝道するのであれば、教会はアウトリーチよりもインリーチを、と言っていたことが、ここでもつながります。内側から変えられていない人たちが、いくらアウトリーチしても、長い目で見るとあまり実を結ばないことは、私たちも十分経験してきたのではないでしょうか。


 何だか話しが大きくなってきちゃったのですが、翻訳し、推敲しながら、多くを語られ、多くの気づきを与えられ、「主よ、私を変えてください」という祈りが、いっそうかき立てられたのでした。妙に壮大になってしまいましたが(笑)変化への第一歩とは、夫婦関係だったり、親子関係だったり、いつでもいちばん身近なところから始まるのですよね。クラウド&タウンゼントの本の素晴らしさは、そういう深い深い神様の御思いを捉え、そこへ私たちを招きつつ、私たちが今日、自分の日常生活の中で、早速実践してみることのできる具体的な事柄を取り上げてくれるところにあると思います。結婚関係の質を向上させ、結婚関係の中でしばしば(?)感じるさまざまな罪悪感や焦燥感、さらには失望感や無力感から私たちを解放し、神が招いてくださっている素晴らしい結婚そして人生の中へ入っていくことへの願いと喜びを与えてくれる本だと思います。


 本が完成して書店に並ぶまでにはまだ数ヶ月かかると思いますが、ぜひ、期待してお待ちください。