90年代、私はEvelyn Christenson という人の本を夢中になって読んでいた。たまたま教会の図書部で見つけた「Lord, Change Me」という本に強く感銘を受け、彼女の本を次々と読んだ。彼女は祈りの人で、祈るとはどういうことなのか、私の目を開いてくれた。


 次々と読んだ彼女の本の中に、Battling the Prince of Darknessというものがあった。いわゆる「霊的戦い」に関する祈りの本で、でも、聖霊派のいう「霊的戦い」とはちょっと違ったかもしれない。


 その中で、とても印象に残り、今でもよく思い出す一節がある。それは、サタンに攻撃されたら、どのように対応するのか?ということ。


 彼女の答えはごくシンプル。「裏口から入ってきた泥棒猫をホウキで追い払うように、シッシッと追い払えばいいのですよ」。


 サタンを甘くみてはいけないけれど、必要以上に大きな存在と見るべきでもない。困難に直面したとき、攻撃にあったとき、私たちが前に出て祈るべきお方はただ一人、主なるイエスさまだけ。サタンがあなたに攻撃をしかけてきたら、シッシッと追い払い、あとはただ主の前に出なさい、ということだった(と記憶している)。もちろん、サタンなどいないとか、戦いなどない、という意味ではなく。戦いも、攻撃も、リアルにある。


 彼女のこの言葉がスッと心に入ってきたのは、じつは私の日本の母教会の牧師だったケニーさんも、同じことを言っていたから。彼も、サタンに戦いを挑むような祈りではなく、ただ主の前にへりくだり、主に祈りなさいと教えておられた。


 (ちなみに、CSルイスも、サタンは神様の敵ではなく、天使ミカエルの敵だと言っている。そういえばヨブ記にも、サタンがもみ手でヘコヘコと神様の前に出てくる様子が描かれているね…)


 今日も泥棒猫にちょっかいを出されたが、シッシッと追い払った。あとは主の御臨在の中に浸る。



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 「のがれの町」(民数記)について読んでいる。私が思っていたのとは、随分違うものだったんだ! びっくり。そして改めて、「神の国(city of God)」の意味するところが、胸に迫ってくる。じわじわと。