昨年ネット上で出合い、いろいろな啓発を受け、夏の一時帰国の際には強引に面会を申し込んでお会いしていただいた、敬愛する巣鴨聖泉キリスト教会の(前置きが長過ぎる?)小嶋崇先生のブログ「大和郷にある教会」より。




 9月7日にこのブログでも言及した、シカゴのノースパーク大学教授、スコット・マクナイト博士の新刊、「The King Jesus Gospel」について、小嶋先生が取り上げられたブログエントリーです。


 


 私は34年前にイエス様を救い主と受け入れたとき、砂の上ではなく、岩の上に家を建てたつもりでした。ところが今、その岩が揺らがされるような、そんな衝撃を感じています。でもそれは、私にとっては、この本を読み始めて初めてその揺れに気づいたのではなく、この数年薄々感じていたものだったので、こうしてはっきり言ってもらえてよかった、という気持ちでもあります。(本当は、もっと早くに本書を書いていてくれたら、と思いましたが。)ショックなのですが、実に「今さらそんなことを言われても…?」という気持ちなのですが、better late than never、この最初のショックを通り抜ければ、きっといろんなことがもっとずっとクリアにmake senseするはず。


 本書の前書きをN.T.ライトとダラス・ウィラードが寄せています。私はライトの前書きを読んで泣きました。



純粋なキリスト教の特質に、それぞれの世代がキリスト教信仰について、新たに考えなければならないということがある。神は一人ひとりのキリスト者が、理解においても、信頼することにおいても、成長してほしいと願っておられるという、まさにその理由によって(とキリスト者は思うのだが)、キリスト教信仰というものは、一つの世代がすべてを解決し、まとめあげ、次の世代の人々は何もしないで済むというようにはなってこなかったのだ。…


…キリスト教信仰とは、色とりどりの万華鏡のようであるが、私たちのほとんどは色盲である。それは多次元的であるが、私たちのほとんどは、頭の中で一度にせいぜい二つの次元までしか考えることができない。それは交響曲のようであるが、私たちに口ずさめるのは、そのうちの一つの旋律だけである。だから、誰かがやってきて、これまで私たちが気づいていなかった他の色や模様を私たちに指し示したからといって、驚くことはない。誰かがやってきて、私たちが見落としていた三番め、四番め、さらには五番めの次元のあらましを見せてくれたらからといって、怯えることはない。自分がすでに知っているつもりだった旋律に、音楽家が新しいハーモニーを加えるなら、むしろそれを歓迎すべきであろう。…



 これはまさに、私のような読者を想定して書かれた言葉でしょうか。この言葉に本当に慰められ、励まされた。


 今、私の土台の岩が揺らいでいるように感じるのは、それが崩されているからではなく、さらに補強され、拡張されるための工事が始まったからなのでしょう。今現在の私は、何だかとても居心地の悪い思いをしていますが、この工事を指揮しておられるのは神様ご自身だと信じているので、Bring it on! I'm ready.


 ちなみに、本書は、実は今日が発売日。先行販売されていたキンドル版はすでに購入済みだけれど、表紙デザインが素敵なので、ハードカバーでも買おうかな。



The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited

The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited