ノースパーク神学校のスコット・マクナイト教授のブログJesusCreedで、またもや興味深い本が紹介されていた。





The Prism and the Rainbow: A Christian Explains Why Evolution Is Not a Threat

The Prism and the Rainbow: A Christian Explains Why Evolution Is Not a Threat












 RJSによると、高校生、大学生や、その親や牧師向けに、進化論は信仰の脅威になるものではないことを分かりやすく説明した本であるらしい。(ダラス・ウィラードも推薦の言葉を寄せている。)


 取り上げられているトピックは、「理論」とはどういう意味か、進化論とは、創造論とは、ID論とは、人間の傲慢さについて、等など。


 「理論」、「仮説」、「法則」といった科学で使われる用語を丁寧に分かりやすく解説し、一般の人たちの間によく見られる誤解(「進化論」は「理論」であって、「事実」ではなく、あくまでも「仮説」に過ぎない、など)についても説明しているらしい。



As a result, sometimes you will read that there is a distinction between the “fact” of evolution and the “theory” of natural selection. Today we no longer doubt whether evolution has occurred, but the mechanisms for it are often debated. This honest intellectual debate is sometimes (erroneously) seen as a debate over whether evolution has, in fact, occurred. It isn’t. (p. 44)


その結果、進化の「事実」と自然選択の「理論」の区別について見聞きすることがあります。今日では、進化が起きた事については、もはや疑いはありません。ただ、それがどのように起きたのかという、進化のメカニズムについては、議論されることがよくあります。誠実になされるこの知的な論争が、ときには(誤って)、進化が実際に起きたのかどうかについての論争であると思われるのですが、そうではないのです。



 また、創造というと、神の御業か自然によるものかという二者択一と思われることが多いが、そういうものではないのだ、ということも論じられているらしい。著者は、虹ができるメカニズムを科学的に説明することはできるが、科学的に説明したからといって、神様が虹を通して私たちに約束を与えてくださったいう聖書の記述が誤りだということにはならないと言っているそうだ。I agree. 神は自然も科学も超越したお方。そのどちらの枠組みにも縛られない。自然を見て、それが科学的に説明できるからといって、神の御業でないということにはちっともならない。


 たとえば、人間がどのようにして母の胎の中で形作られるのか、科学者でなくても、高校くらいまでで保健や理科の授業を取ったことのある人なら、少なくとも大雑把には誰でも知っているはずだ。精子と卵子が受精して、受精卵が卵割(細胞分裂)を繰り返し、胎芽となり、胎児へと育っていく。その様子を写真で見ることもできる。聖書に「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」と書かれているからといって、卵割などのプロセスを「非聖書的」だといって否定するクリスチャンはいないと思う。宇宙や生命の起源と発達に関しても、同じことではないだろうか。人間のスケールからしたら長い時間がかかっているため、受精卵の発達を確認するようには確認できないけれど、聖書が「神が創造した」と言っていることと、科学が解明しつつあるプロセスが、相容れない二者択一であると考える必要はないと思う。





 そんなわけで、この本、とても興味あり。ただ、RJSによると、創造論やID論をこきおろすような論調も見られるので、そこはちょっとイマイチかな、ということらしい。(ちなみに、著者は海洋生物学・動物学者で、専門は形態学、分類学などらしい。)


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