2007年5月にいのちのことば社さんより発行された『新クリスチャン生活百科』に、「健全な人間関係」というタイトルの記事を寄稿しました。最近、境界線についてご質問をいただくことが続いたので、参考までにその記事をご紹介します。

失われた関係


 神はアダムを創造された時、彼を関係の中に置かれました。まず神との関係、それからエバとの関係です。神は「人が、ひとりでいるのは良くない(創2・18)」と言われ、アダムが神との関係だけでなく、人間同士の関係の中でも生きるようになさいました。
 堕落以前のアダムとエバは、恥も隠蔽(ルビ:いんぺい)も取り繕いもない、互いにありのままの姿で存在するオープンで親密な関係を持っていました。しかし彼らが罪を侵した時、それは変わってしまいました。アダムとエバは自分たちが裸であることを恥ずかしく思い、いちじくの葉で身体を隠すようになりました。自分の真実の姿や弱い部分を、そのまま関係の中にさらけ出すことができなくなったのです。こうして人間は、神との関係だけでなく、本来神が意図しておられた人間同士の関係をも失ってしまいました。
 しかし、キリストの十字架の贖いは、私たちに失われたものを回復させてくれます。そこには神が意図された健全で親密な人間関係も含まれます。ですから良い人間関係とは、単なる処世術ではなく、霊的にも意味のあることなのです。

神が意図された人間関係とは


では、神が私たちに願っておられる人間関係とはどのようなものでしょうか。

絆と親密さがある
 互いを深いレベルで知り合い、良い面だけでなく欠点も見せ合うことができます。自分の弱さを隠さず、他者の弱さを見ても、裁いたり非難したり幻滅したりしません。

秩序と責任がある
 自制があり、自分の問題は自分で責任をもって取り組みます。自らの言動や選択がもたらした結果について、他者に責任転嫁しません。

自由がある
 一方が他方を支配したり操作したりしません。相手が、神によって造られたままのその人らしい姿でいることを願います。自分自身も、他者への恐れや罪悪感、プライドなどによって支配されることはありません。

独立しながらも、相互に依存している
 個々の自由を尊重し、それぞれに主にあって自立しています。同時に、自らの限界や弱さを認識し、足りない部分は他者に助けを求めることができます。

「恵み」と「真理」がある
 たとえ相手が失敗しても、赦し、受容し、励まし、支援することを惜しみません。また、罪には愛をもって対決し、誘惑に負けないよう互いに説明責任を負い、規律を保ちます。
 このような関係では、それぞれがさらに神に近づき、互いに近づき、そして神が造られた本来の「自分」へと近づいていくことができます。しかしながら、このような麗しい関係を築くのは、言うは易く行なうは難しかもしれません。ここで具体的な助けとなるのが「境界線(ルビ:バウンダリー)」という概念です。

境界線とは


 境界線とは土地などの境目を示すものですが、ここでの境界線はそれを「私」という人間と「私以外」の存在との境目を示すものと理解します。地境が地主の所有権や責任の及ぶ範囲を明らかにするように、境界線は私たちの責任の範囲を明らかにします。たとえば、自分のゴミは自分で捨てなくてはなりませんが、他人の家のゴミ出しをする責任はありません。自分の庭に植える木は自分で決めますが、他人の庭のことには口出しできません。同様に、自分の問題は自分で取り組まなくてはなりませんが、自分の願い通りに他人が行動するように期待することはできません。
 このように境界線は、何が自分の問題で、どこからが他人の領域なのかをはっきりさせます。健全な人間関係のためには、それぞれが自分の境界線を明確にし、互いにそれを尊重し合うことが必要です。

境界線を明確にするとは
 それでは、境界線を明確にするにはどうすればいいでしょうか。まず自分の感情、考え、ニーズ、選択、状況などについて正直になり、それを相手に伝えることです。
 たとえば仕事が忙しい時に教会での奉仕を頼まれたとします。できない時に「できない」と言うのは悪い事ではありません。「善い人だと思われたい」「がっかりさせたくない」など、相手の反応を気にして無理して引き受けるかもしれませんが、それが重なると奉仕に対する喜びが失われ、苦い思いをいだくようになるでしょう。
 それよりも、どこまでならできるのかをはっきりと伝え、できる範囲で精一杯行なう方が良いのです。たとえば、今週はできないが来週ならできる、夜遅くまでは残れないが夕方までなら残れる、というようにです。神は、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、喜んで与える人を愛してくださいます。(2コリント9・7)。私たちの奉仕や良い行いが、人間関係の中で暗に強いられたものになることがなく、いつも純粋な愛と喜びから出るものでありますように。
 また、自分一人でできないことがある場合には、素直に助けを求めましょう。健全な関係においては、自分をスーパーマンに見せる必要はありません。互いに限界と弱さを持つ存在なのですから、それを正直に表現し、足りない部分を補い合うのです。裁かれたり非難されたりする心配なしに自分の弱点をさらけ出し、交わりの中から助けや励ましを受け取れるなら、その関係はより純粋で親密なものへと成長していくでしょう。

不健全な依存関係に陥らないように
 時には、相手の益のために「ノー」と言うほうが良い場合もあります。自分で対処すべきと思われる事柄について頻繁に助けを求めてくる人に対して、たとえ親切心からであってもいつも手を貸すなら、その人の主にある自立と成長が妨げられてしまいます。交わりの中で、いつも助けを必要としている人といつも助けてあげる人、という図式ができあがるなら、それは不健全な依存関係と言えるでしょう。
 境界線を明確にすることで、その人が自分の問題に取り組めるよう促すことができます。冷たく突き放すのでなく、相手のニーズに共感を示しつつ、愛をもって語りましょう。

相手の「ノー」も受け入れる
 たとえば自分が奉仕を頼む側になった場合、相手に「ノー」と言われたら、あなたはどのように反応しますか。強引に頼み込みますか。嫌味や、相手に罪悪感を持たせるようなことを言いますか。それとも相手の返事を快く受け入れ、他の方法を考えますか。
 聖書は、「何事も、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7・12)と言います。自分の境界線を尊重してもらいたいのであれば、相手の境界線も尊重しなくてはいけません。

他者に対する責任
 ガラテヤ6・5には、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷がある」とあります。これは先に述べたように、人はそれぞれ自分の境界線の中の事柄に関して責任を負う必要があることを示します。一方、同2節では、「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」と言っています。ここでの重荷とは、人がひとりでは負いきれない困難や苦境を指します。
 境界線をはっきりさせるとは、他者に対して無関心でいることではありません。私たちには他者の問題を代わりに引き受けることはできませんが、他者に対する責任はあります。「他者に対する責任」とは、ひとりでは負いきれない重荷を抱えている人を助け、感情的にも相手に寄り添い、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことです。
 新約聖書の中には、たくさんの「互いに~しなさい」という戒めがあります。互いに愛し合い、受け入れ合い、訓戒し合い、教え合い、いたわり合い、赦し合い、忍び合い、励まし合い、祈り合い…私たちは交わりの中で、他者に対してこれらの戒めを全うする責任があるのです。これは主から委ねられた責任として、私たちの境界線の中にあるものです。

愛を動機として
 境界線の原則で大切なのは、自分の言動は自分の責任だが、相手の反応は相手次第だということです。私たちは、私がこれをすれば相手もこうしてくれるだろうと、相手の反応を期待して行動することがあります。私が謝れば彼女も謝るだろう、私が手伝えば彼も手伝ってくれるだろう、という具合です。しかし、相手が期待通りの反応をしてくれないと、失望や怒りを覚えます。それでは純粋な関係は築けません。私たちの言動は、相手を操作しようとする隠れた動機によるのでなく、愛を動機とした主体的なものであるべきです。
 また、境界線をしっかり持つとは、できない事、やりたくない事はしなくてもいいという次元の問題でもありません。不健全な依存や支配から解放され、恐れ、罪悪感、強制、妥協などではなく、愛を動機として自由な選び取りによる関係を、神と人との間に築けるようになることです。私たちは「ノー」という自由があって初めて、心からの本当の「はい」を言うことができるからです。

共に成長するために


 健全で親密な人間関係とは、ノウハウを知ることで一朝一夕に得られるものではありません。「人はその友によってとがれる(箴言27・17)」とあるように、神は私たちが関係の中で品性を練られ、忍耐や受容、自制や責任、そして愛を学ぶよう願っておられます。それは霊的成長のプロセスの一部です。表面上の円滑な関係を求めて適度な距離を保とうとするのでなく、主に尋ねつつ自分を吟味し、誠実に相手と向き合いましょう。
 時には失敗もするでしょう。取り返しがつかないと思うほどに、ひどく関係を傷つけてしまうことすらあるかもしれません。しかし、神の恵みは私たちに十分です。どんな失敗も傷も、へりくださって主の御前に差し出すなら、主はそれを癒し、贖い、再び関係を回復してくださいます。私たちが健全で親密な関係を築くことこそ、神が本来意図しておられたご計画だからです。
 皆さんの人間関係が祝され、それを通して日々キリストに似た者へと変えられていきますように。

主にある人間関係構築と境界線についてさらに知りたい人のために


  • ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント『境界線(ルビ:バウンダリーズ)~聖書が語る人間関係の大原則~』、『スモールグループから始めよう!~人生を変える恵みと真理の実践~』(以上、中村佐知・中村昇訳、地引網出版)

  • ハンス・ビュルキ『主の弟子となるための交わり』(多井一雄訳、いのちのことば社)

  • 丸屋真也『他人は変えられないけど、自分は変われる!――女性が人付き合いで悩んだら読む本』(リヨン社)


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