立川チャペルの高橋秀典先生が、『心の刷新を求めて』のご感想を寄せてくださった。転載許可をくださったので、ここにご紹介いたします。高橋先生、ありがとうございました!


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「心の刷新を求めて」(あめんどう出版、ダラス・ウィラード著、中村佐知・小島浩子訳)という本を読みました。


 英語の副題には、putting on the character of Christ「キリストの品格を身に着ける」とあります。「品格」ばやりの日本ではこの副題を前面に出したほうが良かったかも・・・


 僕は著者のことも知りませんでしたし、何となくアメリカ系の白黒はっきりさせたがる霊性の本はあまり興味がわきませんでした。


 正直言うと、牧師になって二十年余り、自分に関しても人に関しても、期待が裏切られることの連続で、「そんな正論で、解決できたら世話がない よ・・・」という気持ちを味わっていました。ですから、普通だったら、この手の本は避けたいという気持が正直あったかもしれません。


 でも苦労して翻訳してくださった方も、また、赤字覚悟で出版してくださった方も、僕の大切な友人なので、やはりきちんと読んであげなくては・・・と思いながら、読み進みました。そして、正直、やはり、かえって息が詰まるような感じも味わいました。


 しかし、途中から、だんだん著者の情熱が伝わってくるような気になりました。


 そして、ほんとうに、僕は、かけがえのない本を読ませていただいているという気持ちになって来ました。


 聖書には、「わがたましいよ・・・」という呼びかけが数多く出てきます。しかし、この「たましい」のことについて包括的に扱った本は今まで読んだことがありませんでした。心の内奥の霊の部分から、意思、思考感情、体、社会的関係までのすべてを含めた概念としての「たましい」の問題を、創造主なる神様との関係から説明しています。


読み終わって心に響いてきたことばは、「そうだ!たましいを包括的に見て、そのたましいのケアーをすることにもっと目を向ける必要があったのだ・・・」という気持ちが湧いてきました。


 なお、この本では、私たちの心の変化は、何よりも、ビジョンから始める必要がある・・・そのうえで、意思、方法を考えると強調されていました。 これは、ずっと、僕も、聖書を読みながら何よりも示されてきていたことでした。聖書は何よりも、「聞きなさい・・」ということばが強調されています。これは私たちのビジョンを変えるという意味があります。そんなことが、あらためて整理できました。


 本当に感謝でした。友人が関わっていなかったら読まなかったであろう本、でも、社会的関係もたましいの一部なのだと改めて感動しました。


 ちなみに、ドイツ語では、牧会カウンセリングのことを、Seelsorge(たましいの配慮)と呼びます。今、あらためて、自分と人のたましいのケアーのことに目が開かれた思いを味わっています。