ちょっと調べものをするために、自分の昔の日記を読んでいたら、こんなことを書いていたのを発見。2000年の5月5日の日記


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バスジャック事件といい、豊川の事件といい、胸の痛む青少年の犯罪が最近たて続けに起きていますね。 私たちの子供たちも、これから中学生、高校生へと成長して行きますが、親として、今後どうやって指導し、躾けていったらいいのか、私も不安な思いです。


うちの子供たちは9歳、もうすぐ6歳、2歳の三人ですが、今はまだ、基本的に私と主人のコントロールのもとにいます。 でも、大きくなるにつれて、まず物理的に私たちから離れていく時間が増え、さらに精神的にも離れて行くわけですよね。もちろん、そうでなくては困るのですが、子供たちを巣立たせるまでに、今、私に出来ること、すべきことは何だろうと、常に考えています。


私がうちの娘たちに伝えたいこと、教えたいことは山程ありますが (^_^;; その中でも一番わかって欲しいことは、


「You are precious, you are VERY important to me, and I love you.」


ということです。 そんなこと、今さら強調しなくてもわかるものなんじゃないかと言われるかもしれませんが、必ずしもそうではないと思うのです。


オフラインでも、オンラインでも、いろいろな方たちとお話していてよく気付かされるのは、自分がどれだけ愛されていて、どれだけ価値のある存在であるのかわかっていない人が多いようだということなんです。ですから、ただ愛するだけではなく、自分は愛されていると彼女たちにわからせること、それが大切だと思っています。私は少なくとも自分の子供には、そして出来る限り回りの子供たちにも、彼らが、彼女たちが、どんなに尊い存在であるのか、言葉で、また態度で示したいといつも思わされています。


  


2番目にわかって欲しいことは・・・ そうですね、自分の言動には常にconsequence (結果)がついてまわるということ、でしょうか。


例えば子供たちが何か悪いことをしたとします。彼女たちが何をしたとしても、最終的には私は許します。でもそれは彼女たちが自分の言動が引き起こした結果の責任を取らずにすむという意味ではありません。何かふさわしくないことをするなら、必ず何らかの形で責任を取るなり、罰を受けるなり、痛みを伴うなりするのだということを、小さいうちからしっかり教えたいと思っています。


今の世の中、誰もが責任のなすり付け合いをしているように感じます。子供は大人を責め、大人は社会のせいにし、親は学校を責め、学校は親の責任だと言う。警察が悪い、政治家がなってない、役人こそ諸悪の根源だ・・・みんな我こそが被害者であるかのようにふるまい、自分の言動に対する責任は自分にあるのだとは思っていないかのようです。カウンセラーや心理学者までもが「あなたのその問題は、あなたの過去のトラウマにあるのですよ」と言います。悪いのは私ではない、過去に私にこんなトラウマを与えた人が悪い、出来事が悪い、環境が悪い・・・


でも、忘れてはいけないのは、私たちは一人一人、自分で考え自分で決断する意思を持った存在であるということです。 回りが悪ければ、自分は何をしてもかまわないというものではないはずです。


そのことを、小さいうちからはっきりと子供たちに教えたいと思っています。


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 興味深いことに、ここで挙げている一つめの点は、まさに『子どもに愛が伝わる5つの方法』のポイント。二つめの点は、『バウンダリーズ』のポイント。ちなみに、私が初めてバウンダリーズを読んだのは、調べてみたら2001年だった。ということは、私はバウンダリーズを読む前からすでにそれを実践していたのか。逆にいえば、だからこそバウンダリーズがツボだったのかもしれない。神様の確かな導きを改めて感じ、ただI'm in awe of Him.


 (ついでに、その数日前の日記には、「If you don't humble yourself before God, your life will humble you.」というパスターの言葉の引用があった。これも実にその通りだ…)