リー・ストロベルの新刊がいのちのことば社さんから出版されたらしい。『宇宙は神が造ったのか』という、アメリカでは2005年に出版された"The Case for a Creator--A Journalist Investigates Scientific Evidence That Points Toward God"の邦訳版だ。この本の原著は私も持っていたが、まだ読んでいなかった。ストロベルがジャーナリストの目で調査して書いた本なら、きっとよくバランスの取れた良書に違いないと思っていたので、安心してまだ読まずにいた。


 ところが、このブログにも時々コメントをくださる「うさたろう」さんこと、「葡萄の実<ほん訳>ミニストリー」というサイトを運営しておられ、近年ではロイドジョンズの『ローマ書講解』(いのちのことば社)を翻訳出版されている渡部謙一さんが、ご自分のウェブ日記でストロベルの新刊について2回に分けて書いておられるのを読んで、びっくりしてしまった。その中で、渡部さんが示しておられる懸念には、私もまったく同感だったので、ご本人の許可を得てここに全文を転載させていただく。渡部さんが後半部分で述べておられることは特に重要だと思うので、皆さん、どうぞスルーしないでお読みになってみてください。


 うさたろうさん、転載許可、どうもありがとう!


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2009年11月19日 宇宙は神が造ったのか 其の一



リー・ストロベルの新刊(邦訳)が発売された。『宇宙は神が造ったのか?』(いのちのことば社、2310円)である。


ストロベルの前作、前々作(『ナザレのイエスは神の子か?』、『神は実在するのか?』)を興味深く読んだだけに、今回も高い期待を寄せていたが、米アマゾンの「最も役に立った顧客レビュー」を読んだ限り、その期待はいささか裏切られたかもしれないと思った。


同レビューの執筆者はDavid Marshall氏。歴史家でキリスト教の護教家だという。『Jesus and the Religions of Man』という著書があるそうだが、自分は読んだことがない。とはいえ、文章からすると理性的で、広い知識に富んだ方だとお見受けした。


Marshall氏によると、本書には2つの大きな長所があり、一読には値するという。1つはストロベルがインタビューした一流の学者たちの言葉である。読者が何をどう判断するにせよ、こうした人々が口にする意見や、難問に対する答えを聞くにこしたことはない。自分もコリンズ(フランシス・コリンズ(『ゲノムと聖書』)だろう)がどんなことを語っているのか読んでみたいぞ。


もう1つは、本書の4-7章、9章がまず反論の余地のないほどすぐれた内容だということ。この箇所が扱っているのは、宇宙の起源・「人間原理」(物理学の諸法則が初めから人間生命の創造のために定められていたように思えること)・宇宙環境の最適な特徴・生命の始まりといった主題だ。アマゾンのレビューで寄せられたストロベルに対する多数の反論のうち、この5つの章の真偽を攻撃したものはほとんどなかったという。


本書の欠点は2つ。1つは小さなもので、もう1つはやや大きなものだ。小さな方の欠点は、ストロベルの論理の持っていき方に穴があること。論理学的には証明になっていないような論法で、読者をまるめこむ傾向が多々見られることである。また、インタビューの相手が、いずれも創造論の信奉者ばかりだというのは公正を欠くのではないかという視点もある。始めに結論ありきのインタビューという匂いがするわけだ。


だが、それより大きな問題と思われるのは、進化論の扱いである。


(つづく)


2009年11月20日宇宙は神が造ったのか 其の二


ストロベルは、進化論について最新の科学的データを知らないのではないか。レビューを書いたMarshall氏は、自分は歴史家だが、ストロベルよりは現代の進化論について多くを知っていると書いている。


またストロベルは、単に百人もの偉い先生が創造論に賛成していますよという権威主義で事を片づけたり、原始人の化石は微々たる量しかありませんよと言いながら、太古の化石には種と種の間に大きなギャップがありますよというダブルスタンダードを使ったりする。


つまり本当に現在の進化論の基盤となっている真に決定的な証拠の数々とは、まともに向き合っていないのである。残念ながらこの点でストロベルは、古くからの福音主義者の創造説、あるいは近年のID論から一歩も踏み出していないように思われる。


結論として、本書は玉石混淆だが、長所の方がやや上回っているだろうと同レビューはしめくくっている。


昨日の日記へのコメントに、はちこさんが情報を寄せてくれた。まず上のコリンズはフランシス・コリンズではなく、ロビン・コリンズという別人であること。そして、インタビューされている人々がみなID論者だということだ。ビーエはそうだろうと思っていたが、全員がそうとは呆れたことだ。


福音的なキリスト者の間でも世界の創造については色々な立場がある。若い地球論者(六日間創造説者)、古い地球論者(日=時代論者、文学的枠組み論者)、有神論的進化論者、ID(インテリジェント・デザイン)論者などなど。その中でもID論者の意見だけを取り上げて推進する本がこの本だというわけである。


もっと広い視点で、客観的に書いてほしかったというのが正直な感想だ。自分としては、古い地球論には科学的なデータの多くを裏づけとする理があると思っているし、有神論的進化というフランシス・コリンズのバイオロゴスは、厳密な科学的データに基づいた、福音派の中でこれからもっと支持を集めてしかるべき説得力のある理論だと感じる。


本書によってID論が日本の福音派のスタンダードな考え方にまつりあげられてしまうとしたら、あえて偏狭な道に突き進むあり方のように思えて心配になる。


それより大きな懸念は、この本がノンクリスチャンに対する決定的な反論だとして福音派の中で持ち上げられたり、伝道の現場で用いられたりすることによる弊害である。


有神論的な世界観や、神による無からの創造、宇宙の始まりを説くのは良いだろう。その点に文句はない。だが、こうした穴の多い大衆書に基づいて、進化論は間違いだというスタンスを押し通していけば、現代科学の膨大なデータの前にその立論は崩壊すると思われる。それは決してキリストの御国を前進させることにはなるまい。


はちこさんの日記のコメント欄にも先日書いたが、何にもまして、居丈高で敵対的なファンダメンタリスト的態度で進化論攻撃をするのは良くない。そんなことをすれば、「たとえ本当でも、そんなものは信じたくない」と相手に思わせるだけだろう。


教会にとって最も大切なことは、愛だと最近とみに思う。そんなことを言うと一昔前の自由主義神学のようだが、パウロも第一コリント13章でそう言っているぞ。


真理は大切だ。使徒と預言者に基づく正統的な教理を信じることは教会の基盤だ。しかし、愛がなければ何にもならない。特に伝道においてそうだ。「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」と主イエスは言われた。


この世で最も人々が憧れ求めているものは、愛の共同体であり、その愛の姿をキリスト者に見るとき、ここに本物があると感じるのだろう。そうなれば、(語弊はあるが)世界の始まりだの何だのという話はどうでも良くなる。「たとい嘘でもいいから、この人たちと同じものを信じたい」と思うようになるのではないか。


真理など隠して、愛を示せばそれが伝道だと言っているのではない。だが、愛の共同体というコンテキストの中で真理を語ること、そして、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をして」いるという姿勢が理想だ。


ストロベルの本は決して価値がないわけではないだろう。特に4-7章、9章についてはぜひとも読んでみたいと思う。だが、進化論を扱った部分については最新の科学的知見に基づいておらず、人を誤り導く可能性があること、また、まだキリスト者になっていない、事情に通じた人をかえってつまずかせる可能性があることを念頭に置いて、注意して用いるべきだと思う。


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 以下、ちょっとだけ私からの情報&コメントです。


 本書で著者リー・ストロベルがインタビューしている8人の面々は、以下の通り。(米ウィキペディアよりの転載です。今は日本語に訳す時間がなくてごめんなさい。)


The Case for a Creator consists of interviews with intelligent design advocates and Christian apologists who argue for the existence of a creator. The advocates interviewed in the chapters and their topic(s) of discussion are as follows:


* Intelligent design advocate, Discovery Institute Center for Science and Culture (CSC) fellow and Unification Church theologian Jonathan Wells presents a case against evolution;(日本のウィキペディアのジョナサン・ウェルズの記述はこちら。)


* Intelligent design advocate, CSC fellow and philosopher of science Stephen C. Meyer discusses the relationship between science and religion, as well as the origin of life, arguing against the likelihood of abiogenesis without the assistance of a creator;


* CSC fellow and philosopher of religion William Lane Craig discusses the Big Bang and argues for a creator as first cause, invoking the Kalam cosmological argument;


* International Society for Complexity, Information and Design fellow and philosopher Robin Collins discusses the anthropic principle and argues that the universe must be designed by a creator;


* Intelligent design advocates and CSC fellows Guillermo Gonzalez (an astronomer) and Jay Richards (a theologian) present a case that the Rare Earth hypothesis supports intelligent design;


* Intelligent design advocate, CSC fellow and biochemist Michael Behe discusses irreducible complexity in biology as an argument for a creator; (日本語のウィキペディア)and,


* CSC fellow, philosopher and theologian J.P. Moreland examines the supposed existence of consciousness separate from the brain, including near-death experiences, as an argument for a creator.


 ご覧のように、全員インテリジェントデザイン(ID論)の支持者です。しかも、『宇宙は神が造ったのか』は「科学的証拠」について調査したはずの書物でありながら、この8人のうち科学者はMichael BeheとGuillermo Gonzalezだけで、それ以外の人たちは哲学者、神学者です。(ジョナサン・ウェルズにいたっては、統一教会の神学者)


 マイケル・ベーエはリーハイ大学生物学科の教授ですが、リーハイ大学は進化論とID論に関して次のような声明を出しています。


- Department Position on Evolution and ”Intelligent Design


 (リーハイ大学生物学科は、ベーエ教授を除くすべてのメンバーが進化論を支持しており、ベーエ博士が自分の考えを表現する権利は尊重するが、それはこの学科の立場ではなく、ID論は科学とは呼べないというのが我々の見解である、と明言している。)


 本書の邦訳版の宣伝文には、「創造論を論破するため、徹底的な調査を行った無神論者の著者。その行き着いた結論は思いもよらないものであった」とあります。しかし、本書の原著がアメリカで出版されたのは2005年。著者ストロベルは1987年からすでに牧師でした。彼がクリスチャンになる前は無神論者だったそうですが、本書を執筆したときはすでに牧師だったので、「無神論者の著者」という記述は誤りではないでしょうか。さらに、インタビューされている面々がこれだけ偏っているのを見ると、「創造論を論破するため、徹底的な調査を行った」というのも真実だとは思えません。このように、読者の誤解を招くような宣伝文がついていることは非常に残念です。


 私はもちろん、神が人類を含め宇宙の創造主であることを信じています。その意味においては(その意味においてのみ)、私も「創造論者」です。私が問題にしているのは、科学ではないものを科学と呼ぶこと(「創造科学」やID論)、また福音のためと言いつつ、このように不十分な調査(あるいは意図的な偏り?)によって、神を愛する福音的なクリスチャンが不誠実にも見える活動を行うことです。これでは、真剣に真理を求めている人たちへの証にならないと思うのです。






キリスト教信者でない人であっても、地球や天体、またその他の世界の原理について、何らかの知識を持っている。惑星の軌道や動き、さらにはその大きさやおおまかな位置、日食や月食がいつ起こるのか、年月や季節の周期、動物や植物や岩石などに関する知識もそうである。彼らの知識は、往々にして、きわめて確実な理性と経験によって裏打ちされている。


 ここで、 キリスト者がこれらの事柄について、聖書が語る意味について述べると言いながらナンセンスを語り、それが人々の耳に入ったとしたらどうだろうか。それは恥ずべきことであり、危険でさえある。キリスト者の大いなる無知があらわにされ、人々から失笑を買い蔑まれるという見苦しい事態は、何としてでも避けなくてはならない。


 無知な個人が嘲笑されたところで大した問題ではないが、困るのは、キリスト者ではない人たちに、聖書の記者がそのようなナンセンスを書いたと思われることである。聖書の記者が無知蒙昧な人々であったと批判され、拒絶されてしまうなら、我々がその救いのために労苦して福音を伝えようとしている、まさにその人々を失うことになるのだ。というのも、彼らがよく知っている事柄についてキリスト教徒が誤解をしているのを見、馬鹿げた意見を主張し続けるのを聞くなら、自分たちが理性のもとで経験的に学んだ事実に関する聖書の記述は、間違いだらけだと思うだろう。そうなれば、彼らがどうして聖書を信じ、死者の復活や永遠のいのちのへ希望、天の御国などについて、受け入れることができようか。(アウグスティヌス 『創世記注解』)



このトピックに関心のある方は、こちらもぜひご覧ください。







*Michael BeheのBehe実際の発音は「ビーヒー」に近いですが、日本で出版されている彼の書物では「ベーエ」となっているので、この記事ではそれに準じて「ベーエ」と表記しました。