Twitterで先日リック・ウォレン師がつぶやいていたことが、妙に心に残っている。


 



RickWarren NEVER follow a pastor who belittles other's success,doubts other's motives,or criticizes other's efforts 4 Christ. Rom.14:4


(リックウォレン 他者の成功をけなしたり、動機を疑ったり、キリストのための努力を批判するようなパスターには、決してついて行ってはいけない。ローマ14:4)






 「パスター」となっているけれど、パスター以外のリーダーにも当てはまると思った。他の人が主のために何らかの実を結んでいるのを見て、それをけなしたり過小評価したり、その人の動機を疑ったり、その人が主のために行っているその努力を批判するというのは、こうして書くと随分ひどいことのようだけれど、実際にはわりと頻繁にキリスト者の間でなされている気がする。私もあると思って、ドキンとした。そして、私はリーダーではないけれど、そのような人でいたくないと思った。


 伝道や福音のための働きには、いろいろなものがある。「そんなやり方では駄目だ」「そんな働きは無意味だ」と言いたくなるものもあるかもしれない。中には、確かに動機が不純なものもあるかもしれない。しかしパウロは言った。「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。(ローマ14:4)」 不純な動機でなされる働きについてはこうも言っている。「すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。(ピリピ1:18)」


 誰かが問題のある方法や不純な動機で主の働きをしているとしても、基本的にそれはその人と主の間の問題であり、私がとやかく言うことではないのだ。(ただし、その人の魂の状態をケアするがゆえに、あるいは主の御名がそしられないようにするために、愛をもって直接その人に進言することはアリだと思うが。そういったスタンスも、パウロの手紙の随所に表れているよね。)


 ああ、パウロは本当に、フォーカスすべきことのみにフォーカスされているなぁ。他者の働きを批判したりけなしたり疑ったりというのは、結局は自我の裏返し。そんなリーダーには確かについて行きたくないし、なにより一キリスト者として、自分はそうありたくない。我が身を振り返って、とても反省させられる。主よ、私の目と心を、あなたがご覧になっているもの、あなたの御思いだけにフォーカスしていくことができますように…