しばらく前に、ぼぼるパパが「日経サイエンス(Scientific American誌の日本語版)に面白い記事が出ていたのを見つけたよ」とあるpdfファイルを送ってくれた。「科学と宗教は対立するのか」というリチャード・ドーキンスと物理学者ローレンス・クラウスの対談だ。


 その対談の抜粋がオンラインでも読めることを今日知ったので、メモとしてリンク。ただし残念なことに、抜粋ではこの対談の一番興味深いところが読めない… (全文を読みたい方は、ぜひ図書館などでバックナンバーを探すか、あるいは私にご連絡ください。)




 私が思うのは、科学者がこういうことを言っているのを聞いて、信仰者(特にクリスチャン)は、信仰やキリスト教が攻撃されているとか危機にさらされているとか思って、怯える必要は全然ないはずだということ。むしろ、彼らの言葉には、私たちが謙遜に耳を傾けるに値することも、結構含まれているように思う。


 彼らは、クリスチャンが聖書を通して知っている被造物の世界よりも、はるかに壮大で緻密で美しい世界・宇宙を知っている。彼らの多くにとって、この壮大で美しさに極まるこの宇宙はやはり「被造物」であり、その背後に何らかの創造者の存在を認めることにやぶさかではないようだ。(実際、ドーキンスはコリンズとの対談でそれを認めていた。)彼らの言っていることを聞いていると、ある意味、彼らの方がクリスチャンよりもはるかに、創造主が作られたこの素晴らしい被造物について、その壮大さ美しさを誉め讃える理由を持っているし、実際そうしたいと願っているかのように思えてくる。ドーキンスしかり、カール・セーガンしかり、ホーキングしかり。それなのに、クリスチャンがその素晴らしい壮大な被造物を何やらとても陳腐なものにすりかえてしまったことを、彼らは怒っているようにも見える。


 クリスチャンがなすべきことは、彼らが被造物を通して見いだした「創造主」を、科学の高慢だとか嘘だとかいって叩きつぶすことではなく、その壮大なる創造主は、私たち一人一人の魂にも親密な関心を寄せてられるお方でもあるということを、伝えていくことではないだろうか…