10日に入稿のはずだったのが、案の定少し遅れている。たぶん週明け早々には入稿できるでしょう。


 最後の章では、無神論者から有神論者になった筆者が、どのようにしてイエス・キリストを自分の救い主として受け入れるに至ったかが証されている。最初は科学者らしくいろいろ理屈をこねて考えるのだが、最終的には、自分が「罪人」であるということをイヤというほど思い知り、自分の罪のために死んでくださり、そしてよみがえった、人となられた神キリストの前についにサレンダーする。


 しかし、だからといって読者にも、「あなたもキリストを信じましょう、イエスこそ神の御子です」のようなことは彼は一切言わない。ただ、人間を造られ、人間を愛し、人間と関わりを持つことを欲する神が存在するという世界観を持つことは、決して理不尽ではなく、むしろ非常に理にかなったことであると優しく論じる。そして、「その神がどのようなお方であるかは、一人一人、自分で探求しなくてはならない」と読者を励ます。翻訳しながら、推敲しながら、読者がこの章を読む時、聖霊様が力強く働いてくださいますようにと、心から祈った。


 特に最後の章では、先にも問題になった「霊的」という表現がたくさん出てきた。霊的世界観、霊的真理… 編集者さんは、「霊的」と出てくるたびに、「宗教に馴染みのない読者にもなるべくわかりやすく言い換えてください」とおっしゃっていた。しかしながら、本書の目的の一つは、神を信じない人、特に唯物論的・自然主義的世界観の中に生きている人たちに対して、「霊的世界観」にも目を向けてもらうよう招くことだ。人間の体験・人生には、科学では答えを出せないけれど、考慮するに値する重要な問題がたくさんある。それらの問いから目を背けるのでなく、真摯に取り組んでいくなら、私たちの人生はもっと豊かになるということを知ってもらうことだ。とすると、「霊的」という言葉を完全に排除してしまうと、著者の意図が損なわれてしまう。その旨を編集者さんに説明すると、彼女はとてもよく理解してくださった。結果として、言い換えられる箇所は言い換え、残すべきところは残すよう、臨機応変に対応できたと思う。「霊的世界観」なるものにまったく馴染みのない人でも抵抗なく読み進められ、最後にはちょっとはチャレンジを受けるような具合に訳せているといいのだが。編集のプロセスで、ノンクリスチャンの読者の立場から忌憚のない意見を聞かせてくださり、また翻訳者としての私の(「狷介」な?笑)意見にもよく耳を傾け、著者(と翻訳者)の意図をよく汲み取ってくださった編集者さんには、心から感謝している。


 本書は、宇宙の起源、生命の起源、ゲノム研究から新たに出てきた進化の証拠などについて、専門的なことも含めつつ、しかし科学にはあまり馴染みのない読者でも十分ついてこれるような平易な表現で説明されている。また、創造科学(特に「若い地球の創造論」)、ID論、そして有神論的進化論(著者は「バイオロゴス」という名称を提案している)のそれぞれについてもわかりやすく説明している。また巻末では付録として、最近新聞の科学欄をにぎわすことの多くなった話題、たとえばクローニングや幹細胞、各人のDNAを調べることにより可能になる個別化医療、映画『ガタカ』にも描かれていたような遺伝子操作の問題など、医療・生命倫理に関わる問題に、かなりのページ数をさいている。科学や医療技術が発達するにしたがい、生命倫理の問題はますます重要になってくる。それは、クリスチャンの立場から言えば、神の御前における人間の責任とも言えるかもしれない。


 クリスチャンが好むと好まざるとにかかわらず、科学は日々進歩している。実際、私が本書に出会った昨年秋から今に至るまでのわずか半年あまりの間にも、日本の山中教授が皮膚細胞を用いて万能細胞を作り出すことに成功し、アメリカのクレイグ・ヴェンターが細菌のゲノムを化学合成することに成功した。新たな知識と技術が日々積み上げられていく中で、それを賢く安全に用いるための「知恵」はちゃんと追いついているだろうか。今後、神の知恵を知っているクリスチャンが、真摯に提言させていただく機会がでてきても不思議はないし、ぜひそうなって欲しいものだと思う。しかし、クリスチャンが近代科学(の一部)を否定し、進化論を認める科学者を嘘つき呼ばわりし、「これぞ真理だ」と疑似科学ばかりを唱えているなら、この世の人たちは、クリスチャンに聞くことなど何もないと思ってしまうだろう。そうなれば、このように重要な問題に関して、クリスチャンが誠実な意見を述べることができなくなってしまう。


 コリンズ博士の解説を読みながら、信仰と科学が人間の営みの中で統合される必要があるのは、単なる個人の精神面での問題だけでなく、人類がこの地上で責任をもって生きていく上でも不可欠なことなのだと思わされた。


 出版は9月末から10月にかけて頃になるらしい。邦題はまだ決まっていなくて、営業チームもふくめてタイトル検討会議が開かれ、もしかすると「原題とかけ離れた、『売らんかな』のあっと驚く邦題になる可能性」もあるとのこと。(笑)ええ、ええ、「売らんかな」のあっと驚く邦題は、翻訳書の場合よくあることなので、そうなったとしても驚きません。


 主よ、本書の邦訳出版のためにここまで道を開き、導いてくださったことを感謝します。翻訳もここまで終えることができて感謝します。今後のこともすべて御手に委ねます。どうぞ本書を清め、あなたのやり方で、みこころのままにお用いください。出版社さんの上にも、特に編集者さんを初めとして直接関わってくださっている方々の上にも、あなたの豊かな祝福がありますように。