二日ほど前、翻訳原稿を脱稿したこともあり、ぼぼるパパがフランシス・コリンズ博士にご挨拶とちょっとした質問のメールをした。お忙しいだろうし、はたしてお返事はいただけるかな?と思っていたら、今朝、早速ご本人からお返事が来て、ちょっと感動。特に、原書が出版された直後に急展開を見せたiPS細胞について、簡単にコメントをいただいた。


 The Language of God では、巻末に、現代の医療やバイオ技術における生命倫理の問題について、かなり突っ込んだ考察がある。1章から11章までは、基本的に個人の中における科学と信仰の統合と調和という観点から語られていたのが、巻末付録ではやや唐突とも思えるほどに、生命倫理における現代社会が持つジレンマについて相当のページ数がさかれている。最初は私も「あれ?」と思ったのだが、読み進むうちに、科学と信仰の統合と調和という問題は、単に個人レベルにおいて重要であるにとどまらず、社会、ひいては人類全体にとっても大切なのだということに気づかされた。そして、コリンズ博士はクリスチャン科学者・医師として、現代社会における科学と信仰の間の不協和が、どれだけ人間にとって無用の混乱を引き起こしているか、切実に感じているのであろうと思わされた。


 たとえばクローニングや幹細胞に関する技術。これは今注目されている再生医療の分野でも重要な技術だが、その取り扱いについては、倫理面から多くの議論が起きている。単に良いとか悪いとか、一言で片付けられる問題ではなく、様々な角度からのきめ細かな考察が必要だとコリンズ博士は言う。


 神様は人をご自身のかたちに創造された時、この地を従わせるという地球の管理者としての責任を私たちにお与えになった(創世記1:28)。そして神様は、人間が多くの知識を得、さまざまな技術を生み出すことを許してくださった。実際、神様がそのように人間を導き、助けてくださったとも言えるだろう。知識や技術は、それ自体は善でも悪でもない。それをどのように用いるかによって、善にも悪にもなり得る。そしてそれは、知識や技術を用いる側の価値観や世界観に大いに左右される。神様が人間にお与えになった地の管理者としての責任を果たすためにも、科学技術の側面と霊的側面(創造主としての神と被造物としての人間の関係など)の統合・調和が、今、私たちに必要とされているのだなぁと思った。(もちろん、クリスチャンは皆科学者になるべきとか、科学者は皆クリスチャンになるべきとか、そういうことではなくて。ちなみに、コリンズ博士は、クリスチャンならば絶対正しい判断ができる、とは限らないとも言っている。実際、歴史をひもといても、クリスチャンは信仰ゆえに理不尽で残虐な行動に走ったという前歴があるし。ある意味、クリスチャンにとってはとてもへりくだらされる。)