神様の方法でお金を管理することについての学びの5回目は、「捧げる」。


 おっと、先に進む前にちょっと。この学びの前回のエントリー「正直であること」をアップした後、複数の方から大変励まされるメールをいただいた。その一つは自営業を営んでおられる方のメールだった。ある申告の時に、心に責めを感じつつも、経費節減のために偽りの数字を書いて提出したのだそうだ。しかし、書類に不備があったため書き直しをすることになり、その時、もう一度その書類を前に、主が警告しておられるのを感じた。悩みつつこのブログを覗いたところ、目に飛び込んできたのが「正直であること」という文字。ああ、もうだめだ。神様ごめんなさい、と完全降伏し、正しい数字に書き直して提出する決心ができたのだそうだ。ハレルヤ! 


 神様がこのような形でこのブログを用いてこの方に語ってくださったことに畏怖を感じた。そしてその方が神様の促しに素直に応じられたことに主の御名を讃えた。これによって、支出は増えてしまうし、上司であるお姑さんに叱られるのも必須。それでも、人を恐れるのでなく神を恐れて正しいことを行うことができたことに、すがすがしい思いで満たされたとおっしゃる。なんて素晴らしいのだろう。この方の上に、そしてこの方のビジネスの上に、お姑さんとの関係の上に、主の豊かな祝福と導き、守りがありますように。 そして他にも、正直であることに関する証を送ってくださった方の上にも、主の豊かな祝福がありますように。メールをくださってありがとう。お祈りしています。


 


 さて、今日は「捧げる」ことについての要約です。捧げるといえば、クリスチャンにとってのトレードマークのようなものでもあるが、これについて神様は何とおっしゃっているのか…





1. 捧げる時の態度


 ただ捧げるのでなく、その時の態度が重要である。「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え…ても、愛がなければ、何の役にも立ちません」(第一コリント13:3)「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」(第二コリント9:7)


 主ご自身も、愛によって動機づけられた捧げものの模範を示してくださった。"For God so loved the world, that He gave His only begotten Son."(ヨハネ3:16)





2. まず第一に、神に捧げる


 「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ」(箴言3:9)





3. どれだけ捧げるか


 収入の十分の一を捧げることは旧約聖書が示す基本。(マラキ3:8) 新約聖書ではさらに、十分の一という数字にこだわる以上に、イエスの模範にならって愛をもって犠牲的に捧げることを教えている。





4. 捧げることがもたらす恵み


 (1)心がキリストへと向かう。(マタイ6:21)


 (2)捧げることを通して私たちの品性が練られる。


    捧げるとは、自分のものの一部が取られることでもある。その時、主を信頼することを学べる。


 (3)永遠の世界へ投資することができる。(マタイ6:20)


 (4)捧げることによって、捧げる人が物質的にも祝福される。「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される」(箴言11:24、25)





5. 具体的には、誰に捧げるのか


 (1)地域教会


 (2)クリスチャンの宣教団体


 (3)貧しい人たち (マタイ25:35-40)


    貧しい人たちに捧げることは、3つの領域においてクリスチャンの生活に影響を与える。


    i. 貧しい人たちを顧みないでいることは、祈りが答えられない原因になりうる。(イザヤ58:7-9)


    ii. 貧しい人たちに捧げる時、私たち自身も満たされる。「貧しい者に施す者は不足することがない。しかし目をそむける者は多くののろいを受ける」(箴言28:27)


    iii. 主をさらに親密に知るようになる。(エレミヤ22:!6)





 捧げるということが機械的な行為にならないように、というのが私にとっての個人的なチャレンジかな。毎月機械的に小切手を書いて、献金箱に入れて、はい今月の義務はこれで果たしました、というのではく。捧げることが、主への感謝と信頼の現われであり、一つの礼拝行為であるように。毎回毎回、その思いを新たにしつつ捧げるようになりたい。数ヶ月前にそんなことを示されて以来、献金する前に小切手の上に夫と二人で手をおいて、感謝を捧げ、信頼を告白し、その月の経済的やりくりに関する知恵と祝福を求めて祈るようにしている。捧げる金額そのものは変わっていなくても、捧げものの質が変わった気がする。


 それから、貧しい人たちを顧みるというのもチャレンジかも。今度スモールグループの仲間たちと、この地区にあるスープキッチン(ホームレスの人たちなどに無料で食事を提供する場所)にボランティアに行こうか、という計画を立てている。