神様の方法でお金を管理することについての学びの4回目は、「正直であること」。





1. 「正直であること」に関して、この世の基準は相対的になり、皆おのおのの目に正しいと見えることを行っている。(士師17:6)しかし、神は私たちに絶対的な正直さを要求される。(箴言20:23,12:22)


「盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない 」(レビ19:11)


2. 神は真実なお方である。この点においても主は私たちに、主に似た者になって欲しいと願っておられる。(第一ペテロ1:15、16)


3. なぜ神は私たちに絶対的な正直さを要求されるのか。


 (1)不正を行いつつ、なおかつ主を愛することはできない。


「まっすぐに歩む者は、主を恐れ、曲がって歩む者は、主をさげすむ 」(箴言14:2)


 正直に行動するかどうかは、しばしば私たちの信仰の問題である。正直であることを選ぶ時、信仰は強められる。しかし不正直であるなら、それは「神などいない」と言うに等しい。


 (2)不正を行いつつ、なおかつ隣人を愛することはできない。


「愛は隣人に対して害を与えません」(ローマ13:10)


 (3)私たちが正直であるなら、主を証する時にも人々は私たちの言葉に耳を傾けてくれる。 (ピリピ2:15、16)


 (4)正直である時、神の導きが確かなものとされる。


「偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 あなたの足の道筋に心を配れ。そうすれば、あなたのすべての道は堅く定まる」(箴言4:24-26 NIV聖書からの邦訳)


 (5)どんなに小さな不正直さも主の前には罪である。(ルカ16:10)


4. 神への健全な畏れは、私たちを不正直に陥ることから守る。 


「主を恐れることによって、人は悪を離れる 」(箴言16:6)


5. 不正を行ってしまった場合はどうすべきか。


 (1)罪を告白することで神との交わりを回復する。(第一ヨハネ1:9)


 (2)不正を行ったことで得た利益を、本来の持ち主に返す。(レビ6:4-5)


6. 正直であることの祝福


 (1)より親密な主との交わり(箴言3:32)


 (2)家族への祝福 (箴言20:7)


 (3)いのちへの祝福 (箴言12:19)


 (4)豊かさ (箴言15:6)


7. 不正直であることの呪い


 (1)神からの断絶(箴言3:32)


 (2)家族への困難(箴言15:27)


 (3)短命(箴言21:6)


 (4)豊かさがない(箴言13:11)





 不正直であること、不正を行うことは、「神はいない」「私は神を愛していない」と言うのに等しいというのは、ちょっとドキッとした。でも、考えてみれば、確かにその通りだ。大きな不正は行わなくても、小さな不正直さなら、それに流されたくなる誘惑は生活の中でちょこちょこある気がする。たとえば日本的な例だけど、キセルをしたりとか、お店の人が誤ってお釣りをたくさんくれた時にラッキー!と思ってポケットにおさめてしまうとか。数十円、数百円のことで、良心を敵に売り渡すようなことはしたくないものだ。欲に駆られたり、これくらいみんなもやっている、たいしたことではないと思う時、私たちは神の存在そのものを否定してしまうことになる。


 また、ビジネスをやっていると、相手にとって不利となるような情報は伏せたまま商談を進めたくなる誘惑もあるらしい。そういう時、「嘘はついていない」と自分を正当化してしまうのかもしれないが、それでは隣人を愛していることにはならない。


 神を愛し、隣人を愛するということ。神の真実と守りと導きを信じること。それが、私たちが徹頭徹尾「正直」であれるための原動力となる。前回の「助言を求める」の時も思ったけど、これは、必ずしもお金の管理の仕方だけに限ったことだけでなく、生活全般に関しても言えることだね。