日曜日の夕拝に出かけると、なんだかいつもと様子が違った。教会が停電なのだった。ついさっきまではげしい雷雨だったから、どっかで送電線が切れたのかもしれない。礼拝堂にはいちおう非常灯がいくつかともっていたが、それでも暗すぎてとても礼拝に使える状態ではない。もちろん、音響もエアコンもなしである。まだ完全に日が暮れて暗くなってはいなかったので、窓のたくさんあるフェローシップホールに場所を移し、窓際にスタンドを立てて、小型ピアノとギターだけでunpluggedの賛美を始めた。


 始めてみると、これがそう悪くない。もともと夕拝に参加する人たちの人数はそんなに多くないので、礼拝堂だとみんなばらばらに座っている感じだが、狭いフェローシップホールではちょうどいっぱいになる。暗くて顔はよく見えないけれど、みんなの息づかいや歌声がすぐそばに聞こえて、とても一体感があった。そして神様の御臨在もとてもリアルに感じられた。


 やがて日が完全に落ちて楽譜も何も見えなくなると、ふだんは礼拝中大いびきをかいて寝ているフランキーがやおら立ち上がり、どこからともなく結婚式用の7本立ての燭台スタンドをいくつも持ってきて次々とローソクに灯をともしてくれたので、たちまちその場はキャンドルサービスに早変わり。(フランキーのこういう頼もしいところが、私は大好きだ。)


 みんなの顔を照らすローソクの灯りを見ながら、ヨハネの福音書12章46節、ルカの福音書8章16-17節に思いをめぐらしていた。僕らの心にある暗闇は真理の光に照らされなければならない。暗闇の一部ではなく、全てをだ。たとえ痛みをともなうプロセスであっても、それが本当の愛の関係への第一歩だ。