今朝の礼拝のメッセージは、パスター一家がバケーション中で留守のため、新ユースパスターがお話しされた。タイトルはUndignified。「Undignified」 とは、「みっともない」とか「威厳がない」という意味。


メッセージの概要は、私たちは次の三つの領域において、Undignifiedであろうではないか、というもの。




  1. 互いとの交わりにおいて。何もかも順風満帆に行っているかのような仮面ははずし、自分の弱さも葛藤も正直にさらけ出せるような交わりを持とう。そのような交わりの中にあってこそ、神は互いを通して私たちのニーズに触れてくださる。

  2. 証において。私たちがキリストの私たちへのパッション、そして私たちのキリストへのパッションを世の人たちに証しする時,彼らは私たちを「どっかおかしいんじゃない?」と思うかもしれない、しかし証は自分が人からどういう評価を受けるか気にしながらするものではない、預言者エレミヤもこう言っている、「エレミヤ20:9」(聖書用語検索で利用者キーを登録してある方(登録無料)は、jer 20: 9と入れて検索すると該当箇所が呼び出せます。)

  3. 礼拝において。ダビデが主の前で力の限り喜び踊ったように、私たちも主が私たちの人生で成し遂げてくださったことを感謝しつつ、力の限り喜び踊ろう。(cf. 第二サムエル6章) ダビデが主の前で力の限り喜び踊った時、それを見た妻ミカルはダビデをさげすんだ。それに対してダビデはこう言った。



(第二サムエル6:21、22聖書用語検索 2sam6:21, 2sam6:22)



Matt Redman の歌に、そのものズバリ、Undignifiedというものがある。内容も、主の前で力の限り喜び踊ったダビデ王がモデル。



I will dance, I will sing


to be mad for my King


Nothing Lord is hindering


the passion in my soul


And I'll become even more undignified than this


Some would say its foolishness but


I'll become even more undignified than this



さわりだけの試聴はこちら。


http://www.worshipmusic.com/lib/worshipmusic/surcd041-02.rm


この太鼓の音が響くワーシップを聴いていると、ほんとに力の限り踊っているダビデの姿が目に浮かぶよう。私は今、主の前に力の限り喜び踊りたくなるほどに、主が私の人生でなしてくださったことを感謝し、喜んでいるだろうか。それほどまでに、主の偉大さに、触れられているだろうか…