今日の午後メールで配信されてきた上沼昌雄先生の「ウィークリー瞑想」でもイエスさまの「受肉」に触れられていてあっと思った。以下、抜粋。



「わたしについて来なさい」といわれたイエスが私たちと同じ肉を持ってくださったので、肉を持つ私たちの弱さや苦しみや罪をよく知っていました。罪人たちと食事をすることはイエスにとって自然なことでした。私たちのまっただ中に来てくださったのです。遠くから私たちを招いておられるのではないのです。罪に苦しみ、弱さに落胆している私たちの真ん中に来て「わたしと一緒に歩こう」と言ってくださっているのです。その道は十字架の道ですが、イエスと一緒に歩くことができるのです。



アーメン。クラウド&タウンゼント博士の著作に感じることは、まさにこのイエスさまの視点とも言えるかもしれない。イエスさまはご自身も肉になられたために、私たちの苦しみ、弱さ、誘惑、必要をよくわかってくださるお方。そして恵みをもって私たちを包容し、真理をもって教え、諭し、解放してくださるお方。ちなみに、先に言及したヨハネ1:14の全文はこうなっている。



ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ1:14



栄光の主、イエスさまの御名を讃えます!