夕べ書いた日記に、少しだけ加筆しました。それから、「肉的な必要」という表現は誤解を招くかもしれないので、ちょっとだけ説明を加えます。ヨハネ1:14には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とありますが、この「ことばは人となって」の部分は、英語では「The Word became flesh」(flesh=肉 原語でも「肉」を意味する単語が使われている)となります。神学者はこれをIncarnation、すなわち「受肉」と言いますね。「肉的な必要」(クラウド&タウンゼント博士は「Incarnational needs」と表現していました)とははいわゆる「肉の欲」のことではなく、私たちが人間としてこの地上で生きていくにあたって必要なもの、神さまが人を肉をもった存在としてお造りになられたときに、それを維持するために神さまご自身が組み込まれた必要、というような意味です。


 人間は肉的存在でもあり、肉的必要がある、なんて言うと、「それでは『自己を否む』はどうなったんだ? 肉は十字架につけるべきではなかったのか?」と思われるかもしれませんが、イエスさまが人としてこの地上に生きておられたときに必要としていたものなら、私たちもまた、イエスさまと同じようにそれが必要なのだということです。