前にもちらっと書いたが、去年のノーベル物理学賞の共同受賞者の一人、Raymond Davisはうちの学科の高圧力地球物理のシニアサイエンティストAndy Davisのお父さんである。今日のfaculty lunchでは、Andyが去年の暮れにお父さんのお供をして行ってきたノーベル賞受賞式のもようを、写真やお土産を交えて報告してくれた。お供と言っても、ただの荷物持ちとはわけが違う。88歳という、ノーベル賞史上でも最高齢受賞者の一人で、初期のアルツハイマー症を患うお父さんにかわって、受賞記念公演を行ったのはAndyだったのだ。Davis教授は、共同受賞の小柴教授のカミオカンデに先駆けて、観測によるニュートリノ宇宙物理学を開拓した成果を認められた。


Davis教授は第二次大戦終了後、核の平和利用を理念に建設されたニューヨークのブルックヘイブン研究所に着任した。パウリのベータ崩壊にもとづく予想から18年以上たった当時でも、ニュートリノは観測によってその存在が確認されていなかった。ニュートリノの放出源として考えられるのは原子炉と、天然の核融合炉である太陽である。Davis教授はまず、1955年に反跳の原理を利用して原子炉の中で7Be(ベリリウム7)からニュートリノが放射されている証拠を得る。当時理論的な研究から、太陽の内部で水素原子からヘリウムが生成される過程にはいくつかの異なる経路があることが予想されていた。そのうち15パーセントは、4Heと 3Heから7Beを経由する。7Beの一部はリチウム経由でヘリウムにかわるが、中には陽子を捕捉してB(ボロン8)になるのがあって、このボロンがBeに変わる時(ヘリウムに至る一歩手前)に高レベルのニュートリノを発生すると考えられていた。Davis教授はニュートリノのフラックスの検出法として当時提唱されていた、37Cl(塩素37)にニュートリノを当てたときにできる37Ar(アルゴン37)を測定する方法を用いて、まず原子炉でこの反応から放出されるニュートリノの捕捉率を推定。しかし、観測可能なエネルギーレベルをもつニュートリノの数は予想外に少なく、しっぽをつかむのは容易なことでなかった。(一方、反ニュートリノの捕捉率はずっと高かった。)しかし、BーBe反応によるニュートリノの捕捉率を理論的に再計算した結果、39万リットルの炭化四塩素物溶液(漂白剤みたいなもの)を、地中深くに埋めたタンクに入れ、バックグラウンドの宇宙線のミューオンによって作られる37Arをフィルターすれば、一日に数個の太陽ニュートリノ起源のアルゴンを検出できるはずであると結論。さっそくサウスダコタの金山の地下に実験施設を作る。かくして1967年に太陽ニュートリノのフラックスが初めて観測された。


問題は、観測されたフラックスが、太陽内部の核融合理論にもとづく予想の約3分の1だったことである。この観測値はつい最近まで(カミオカンデの観測成果も含めて)ほとんど変わることがなく、一方理論的予想もほとんど修正の余地がなく、その不一致は35年にわたりパラドックスとして研究者を悩ませてきた。ニュートリノ宇宙物理にとってのハッピーエンディングは、どうやら観測も理論もともに正しかったということ。ごく最近になって「ニュートリノ振動」とよばれる、ニュートリノの知られざる物理的性格が明らかにされ、これを考慮すると、3分の1という観測と理論の差を埋めることができるそうだ。ちなみに、日本のカミオカンデとスーパー・パミオカンデがニュートリノ振動の観測に一役買っている。そういうわけで、理論と観測がようやく噛み合い、新しい発見もあって、ニュートリノ宇宙物理は現在活況を呈している。分野の半世紀の歩みに、Davis教授も感慨深い物があるに相違ない。


去年の9月末、Davis教授が中華料理屋でもらったフォーチュン・クッキーをあけると、「あなたは偉大な栄誉を受けます」と書かれていた。ノーベル賞受賞の知らせは、その12日後に届いた。アメリカの所得税がかかる前に、賞金を家族を受賞式に招くために使っていいと言われたので、5人のお子さん、11人のお孫さんたちを連れて行くことにしたそうだ。届いたスカンジナビア航空の切符にはすべて「ノーベル賞」と印刷されていて、みんなビジネスクラスだったとか。(閑話休題:何で受賞式をノーベルの誕生日じゃなく死んだ日ー12月10日ーにやるのだろう。しかも、この時期ストックホルムの日照時間は6時間とかそんなもので、訪れるには決していい時期じゃないと思うんだが。)市庁舎で持たれたレセプションは1300人が座席指定のテーブルで、スェーデン屈指のシェフたちによる食事をもてなされ、会場内ではサーカスをやっていたという。おとぎ話の世界のようだった、とAndy。


受賞式の日の午前中にはリハーサルがあった。受賞者は名前を呼ばれると前に進み出て国王から賞状を受け取り、関係者に会釈をすることになっている。しかし、アルツハイマーのDavis教授には、事の次第を記憶しておくのはちょっと難しそうだった。家族が付き添って前に出るとか、他の受賞者が手助けをするとか、いろいろ案は出たけれど、どれも前例がないし何かすっきりしない。すると、その場に来ていた国王があっさり、「なに、彼が前に出てくるには及ばないさ。ぼくが彼の所に行って賞状を渡せばすむことだ」。そして、本番もその通りになったのでした。ノーベル賞の受賞式にも血が通っていることがわかり、ちょっと嬉しい小生であった。