気がつくと、もう10月。
 今年のシカゴの紅葉はどうだろうか。なんだか外れ年になりそうな嫌な予感… まわりの木は、葉の色がくすんでできただけで、鮮やかに紅葉しているものが少ない、というか、ほとんどない。
 うちの庭の紅葉も、なぜかほんの一部の枝だけが紅葉し、あとは緑のまま。(汗)
 紅葉した部分だけを見るとこんな感じなのだけれど、
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全体を見ると、これ。(汗)

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 ガクっとくるでしょう? どうしてこれだけなの?

  さて、少し近況。まず、しばらく中断していた活動のいくつかを、ようやく(本当にようやく!)本格的に再起動した。
 
 (1)翻訳。随分時間がかかってしまったけれど、一巡目を訳し終え、現在推敲中。このプロセスがいちばん好き。

 (2) シカゴで行っている日本人の婦人バイブルスタディ。先週1年と数ヶ月ぶりで愛しい姉妹たちと集まり、 このグループが私にとっていかに励ましとなり、喜びとなっているかが再確認した。この秋は、ジェームス・ブライアン・スミスの「エクササイズ」を用いて学ぶ予定。この本の原書Good and Beautiful Godには、私も随分お世話になった。(このブログの過去記事にも、その片鱗がそこかしこに見える…)みんなで学ぶのが楽しみです。

 (3)11月に中部JCFN主催のリーダーシップトレーニングの一環として、1日の沈黙のリトリートを開催予定。 実はこれは、今年の2月の末に行うはずだった。しかし去年の暮れにみんの病状が悪化したため、延期になっていた。みんは、このリトリートが開催予定だった日の1週間後に召された。延期を決めたとき、「みんが2月末までもたないなんてことは、絶対にないと思うけど」と言っていたのを覚えているが、まさかこんなに早くいなくなってしまうとは… 

 この準備を一緒に行っている姉妹たちとの交わりも、私にとっては貴重な宝。そして、準備そのものもとても楽しい。本当のところ、私はまだまだ学んでいる最中で、「教える」とか「リードする」ような立場にはとてもいないのだけれど、そういう「立場」になるのを待っていたら、きっと一生が終わってしまうから、一緒に学びましょうのスタンスでやっていけたらと思う。

 また、新しいことも始まる。「舟の右側」誌の11月号から、霊的形成についての連載を書かせていただくことになった。これもまた、私が「教える」といったようなものではまったくなく、霊的形成の旅路を歩んでいる者の一人として、ほかの旅仲間たちに私が通っているところをシェアするつもりで書かせていただく。

 それから、悲しいこともあった。カリフォルニア留学時代にバイブルスタディでとてもお世話になり、以来ずっと仲が良かった友人が、登山中の転落事故で亡くなってしまったこと。まだ50歳だった。彼についてはまた、日を改めて書くかもしれない。

 そして、私の悲嘆の旅路も続いている。悲嘆のプロセスは、時間の経過とともにだんだん和らいでいくというような分かりやすいものではなく、以前はなかったような新しい感情が湧いてきて戸惑いを覚えることもある。このプロセスでいろんな感情を覚えるのは当然のことだし、それらの感情を抑圧することなく十分に感じることも大切だけれど、その中で自己憐憫や罪責感にトラップされないように気をつけなくては、とも思わされている。みんが亡くなってしばらくの間は、「慰められることを拒んで」いたし、そういう自分を受け入れてもいた。そんなに簡単に慰めてほしくないという思いもあった。でも今は、「慰め」にもっと自分をオープンにしていきたいと思えるようになっている。そうでないと、私は悲しみや痛みに耽って、神様からの憐れみに満ちた招きまで見えなくなってしまいそうだから…

 感情レベルでは、まだいろんなところを通っている。闘病中の、特にみんが辛かったときを思い出しては(わざと思い出すわけではないのだけれど)、胸が引き裂かれるような痛みを覚える。彼女の泣き顔や泣き声が蘇ってしまう。また、最近では、ほんのちょっとでも彼女を思い出させるようなものがあると、かなり強く反応してしまう自分がいる。先日、CNNで、嚢胞性線維症を患っている人同士のカップルのことを読んだ。二人は18歳のときにFacebookで出会い、2年後に結婚。そして最近、二人とも25歳と26歳で亡くなった。ご主人が肺炎で入院中、奥さんは自宅でホスピスケアを受けていて、ご主人のほうが病院で先に亡くなり、その数日後に奥さんも自宅で亡くなったそうだ。奥さんが亡くなる数日前にCNNが彼女をインタビューしていて、そのときの彼女の姿は、鼻に酸素吸入のチューブをつけ、意識はしっかりしているものの、ろれつはあまりまわっていない状態だった。そのやせ細った姿や、落ち着いた、明るくさえある話し方が、亡くなる少し前のみんの姿と重なって、私はボロボロに泣いてしまった。

http://www.cnn.com/video/api/embed.html#/video/health/2016/09/29/fault-in-our-stars-couple-full-story-nccorig.cnn

 みんが辛かったときを思い出したり、それでも亡くなる数時間前に、彼女が姿勢を正して、はっきりとした口調で「I love you」と言ってくれたときのことを思い出したり… 正直に言うなら、私は今なお、1日の大半を、みんのことを思い出しながら過ごしているのだ。

 でも、先日、そんな中で神さまからの招きを感じた。それは、「あなたの悲しい瞬間の一つひとつに、わたしを招いてくれないか。わたしはあなたの悲嘆を贖いたいのだ。 I want to redeem your grief」という招きだった。 贖い。主が私の悲嘆を贖いたいとおっしゃってくださっている。それは、悲しいのがもう悲しくなくなる、痛いのがもう痛くなくなる、苦しいのがもう苦しくなくなるというだけのものではなく、トランスフォーメーションへの招きでもある。ある意味で最初からわかっていたことではあったけれど、今、改めて、主が招いておられるのを感じた。苦しみと、その中からこそ聞こえてくる主の招き。

 いろいろな瞬間に私を襲い、押し流そうとするかのような悲嘆の中に、主を見出すことができますように。私を抱き、あるいは私の手を握っておられる主に、気づくことができますように。そして主に尋ねます。この瞬間、あなたが私に示そう、与えようとしておられるものは何ですか、と。そして、サレンダーします。この瞬間、あなたが私の中から引き出そうとしているものを、私が抵抗することなく、リラックスして、あなたにお委ねすることができますように。