朝起きて、いつものようにRichard RohrのDaily Meditationを読んでいたら、そこにとても心を掴まれる祈りが紹介されていた。 

God for us, we call you “Father.”
God alongside us, we call you “Jesus.”
God within us, we call you “Holy Spirit.”
Together, you are the Eternal Mystery
That enables, enfolds, and enlivens all things,
Even us and even me. 
 
Every name falls short of your goodness and greatness.
We can only see who you are in what is.
We ask for such perfect seeing—
As it was in the beginning, is now, and ever shall be.
 
Amen. 

私たちのための神よ  あなたを父と呼びます
私たちの隣におられる神よ  あなたを
イエスと呼びます
私たちの内におられる神よ 
あなたを聖霊と呼びます
三つにひとつ、あなたは永遠の奥義
すべてのものを可能にし、包み、いのちを与える
私たちのことさえも、私のことさえも

あなたの善と偉大さの前には どんな名もおよびません
あるがままの中にしか、あなたがどなたであるかを見ることはできません
ですから、はっきりと見ることのできる視力をください
昔いまし、今もいまし、永遠におられる、そのお方を

アーメン


 この黙想の手びきは、毎回、私たちが沈黙に入っていくときの入り口となるような短いフレーズを与えてくれる。今週は、Come, sit at the table.だった。

 三位一体の神が、私を主の食卓に招いてくださる。
 来て、座りなさい、と。
 来て、わたしが与えるものを味わいなさい、と。そして、
 わたしがだれであるかを知りなさい、と。

 そんなことに思いを巡らしていたら、ふいにみんがよく私に言っていた、「Come here, sit by me」という言葉を思い出した。そして、それは神様からの招きでもあったのだと思い至った。

 イエスは確かに「出て行って福音を宣べ伝えなさい」と言われたけれど、その前に「わたしにとどまりなさい(Abide in me)」とも言われた(ヨハネ15章)。イエスにとどまるなら、ぶどうの木につながっている枝にとって、結実は自然の営み。

 父なる神様、友なる御子イエス、そして私たちの内に住んでくださる聖霊。
 この三位一体の神が、私たちを招いておられる。

 Come, sit at the table.


 Come, sit at My table.

 今日は安息日。一日、あなたのうちに憩います。
 この世を支え、回しているのは私ではないから。
 私は、あなたにとどまり、あなたに養われないと、枯れ枝になってしまうだけだから。
 

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ルブリョフの「至聖三者 」イコン