ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者中村佐知(はちこ)のブログです。

 先日少しだけ引用した十字架のヨハネによる「魂の暗夜」という詩、気になったので全文を調べてみた。もともとスペイン語で書かれたものなので、英訳にもいくつかのバージョンがあり、複数のものを照らし合わせつつ、自分なりに日本語に訳してみた。魂の暗夜 8つのスタン ...

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を ...

 昨日の午後、二階の廊下のカーペットをスチームクリーニングしていたら、突然、抑えていたものが噴き出すように、心の奥から湧き上がってくるものがあり、私の現在の苦しい心境を吐き出すようにして神様に向かって訴えた。大声で。 神様は無言だった。 いつもならこんな ...

 昨日は突然思い立って、夫とシカゴ美術館に行ってきた。私にとっては5年ぶりくらい、夫は、3年前にみんとま〜やと三人でマグリット展を見に行っている。そのときにみんが買ったポスターは、今でもみんの部屋に貼ってある。  美術館を1日ですべて観て回るのは大変(と ...

この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言っ ...

 ケンを学校に送り届けてからの朝の20分。庭の一角を見渡せる場所に座って(暖かければ外に出るけれど、寒かったり雨が降っていたら部屋の中から)、センタリングの祈り。 センタリングの祈りとは観想的な祈りの一つの方法で、言葉もイコンなどの画像も用いずに、静寂の ...

ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いて ...

 今週は、月曜日と火曜日にシンシナティを訪問した。目的は、N.T.ライトの講演会に行くこと。シンシナティのFさんご夫妻が一ヶ月ほど前にこのイベントについてご連絡をくださったおかげで、私もこの恵みに与ることができて、感謝。  まず月曜日は午後、シンシナティ大学で ...

(スミレ。勝手に生えてきた雑草だけど、可愛い)その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その ...

すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。(マタイによる福音書28章9節)こんにちは、私の顔を照らす太陽こんにちは、朝をつくりそれを野原全体にチューリップの花の中にうなずく朝顔にーーそしてみ ...

さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこ ...

(カラヴァッジョ 「キリストの埋葬」)そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろし ...

ヨハネによる福音書18章1節から19章42節まで見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた――そのように、彼は多 ...

 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとす ...

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